リリさんと出会って1年たったので思ったこと書く

風雨来記4/2021 Nippon Ichi Software, inc./FOG

PS4のスクリーンショット機能は、タイムスタンプもついているので、あとから振り返ったときに便利です。
この場面で2021年7月12日22時20分頃なので、それより少し前、22時頃にちありさんとはじめて出会ったことになります。




種蔵。
旅先で出会った綺麗なお姉さん、日陽さんが飛騨の方に行くと言っていたから向かった場所でした。
ちありさんの最初の印象は「なんだか明るい楽しい子だな」くらいの感じだったかな……


二回、三回と会って、名前も知らない彼女に見え隠れする謎が気になって、あところころ変わる読めない言動に興味が湧いて。
「リリ」という呼び方を知ったのは、それからリアル時間でさらに3日後でした。


その数日後には、自分でも信じられないくらいにリリのことで頭がいっぱいになってたなぁ。
とにかく「面白い」「楽しい」「もっと知りたい」という感情がものすごく湧き上がって、「好き」とか「可愛い」は、時間差でだいぶ後からくっついてきたのがすごく新鮮だったのを覚えています。
今も基本配分は変わっていません。リリは本当に面白い。









今回は、風雨来記4とは直接関係ない、長い長い自分語りです。

リリさんと出会って何を考えたかとか、どう変わったかとか。
この1年どういう風に過ごしたかとか。

どれだけリリさんのことを好きなのか、とか。


1年という節目なので、ここにそっと書き留めておきます。





他人様からみて面白いものかはよく分かりません。

好きなことを好きだと言うのは、勇気がいります。
バカにされるかもしれないし、さすがに理解されないだろうという思いもあります。

それでもとりあえず書きたいので書きます。







昨日より今日の方が × 365



1年を機に、色々書き留めておく。
以下、風雨来記4の内容には関係無い、自分語り。





自分で自分を褒められることがひとつあるとすれば、
この1年ずっと、リリさんへの情熱を燃やし続けてきたこと。


「昨日より今日の方が、もっとリリを好きだ」


を365日間、毎日ずっと続けてきた。
本当に、毎日、1日たりともかかさず、続けた。

だから、少なくとも1年前の365倍は母里ちありに惚れていると思う。



自分で言うのもなんだけど、これって「すごいこと」だ。
というのも、これは「なんとなくそうなった」じゃなくて、「自分に出来うる限りの全力でそうなれるように方法を考えて」「常に意識して」「試して」「毎日欠かさず色々なことをやってきた」結果だから。

自分的には、自分に向かって心から誇れるところだ。





何もせずにただ漠然と過ごしていたら、どんなに強い想いもそのうち適度に落ち着いて、「いい思い出」になることを、これまでの経験で知っていた。

恋愛でも、人間関係でも、趣味でも、仕事でも、そう。


心の働きには色んな作用があって、だいたいにおいて、時間がたつとともに、自分の意志とは別に、脳が勝手に、心のかたちを整理していってしまう。

大切なものもしばらく思い出さないうちに簡略化されたり改ざんされて別のかたちになってしまったり、あるいは綺麗さっぱり「想い」ごと断捨離されてなくなってしまったりもする。


初恋があったという記憶は残っていても、そのときの感情は蘇らない。
大切な人との別れの哀しみも、時間と共に癒えて、後には優しい、楽しい思い出だけが残っていく。

そうやって、色々な事柄をひとつひとつ受け入れて、乗り越えていく。




心の動きについていえば、表現作品においても、同じことが言える。
大好きな漫画やアニメ、ゲームが終わって、どんなに「ロス」を感じても、新しい他の作品を見つけたり、何度か見返したりしてそれぞれの心で折り合いをつけ、次へ進んでいく。



どんなに感動しても、刺激を受けても、心の中でいつかは消化されて当たり前になる。
心が痛まない程度に「良い思い出」になっていく。

生きている限り、そういうものだと思う。


風雨来記/ Nippon Ichi Software, inc./FOG
風雨来記/ Nippon Ichi Software, inc./FOG





だけど、自分にとって、

リリという存在と、母里ちあり編の物語は、自分にとっては本当に、本当に人生を変えるくらいの衝撃だったから、そこから受けた感情や、湧いてくる情熱を、絶対に忘れたくないと思った。

これだけは、心の底から手放したくないと思った。
「いい思い出」で終わらせたくないって思った。



リリさんへのこんなに魂が震えるほどの「好き」も、ここから何もしなかったら半年……もしかしたら一か月もしたら、何も無かったみたいに出会う前の自分に戻っているかもしれない。


ましてや1年2年とたつ頃には最早、リリさんとの岐阜の旅も、リリさんのことも、細部は忘れてしまって、脳内の「すてきな思い出」スペースに収納されて。


何年かたって新作が発売されたりして、「そういえばリリは可愛かったなぁ」と思い出す、今あるこの感情を忘れた自分。



それはいちばん想像したくない、でも現実感を持って容易に想像できてしまう未来像だった。



だから、

「風雨来記4」を、「リリさん」を、人生で出会う数ある作品のひとつ、数ある物語の登場人物の一人として消化して、消費して、過去にして、この先の人生をちょっと豊かにするよりも、


自分の人生を変えた特別な存在として、そこから受けた衝撃や、湧いてくる情熱を絶やさずに燃やし続けて、つまり、思った事を言葉にして書き残して、新しい表現にも挑戦し続けて、自分自身に対して、「いい思い出」で終わらせない、どうなるか分からない変化へ飛び込み続ける。

そうして、自分の人生をもっと前向きに楽しんでいく原動力にしていけたら、

そうしたら、10000年とは言わないまでも、人生の100年、という限られた期間くらいならば、この「好き」をどこまでも燃やし続けるということも、もしかしたら、もしかしたら、できるかもしれない。



途方もない目標かもしれないけど、もしそんなことができたら、それは死ぬまでずっと、このめちゃくちゃ熱い情熱と楽しさが続くということで……

そんな心でずっといられるって、ものすごく、幸せなことじゃないか。



そんな風に考えた。

挑戦してみたい。
本気で、全力で、打ち込んでみたい。
とにかく、行けるところまで行ってみよう。


それが去年の8月終わりから9月途中、だいたいこのブログを作るちょっと前くらいの頃だったと思う。





いつまでも好きでい続けるためにやったこと


「まずは1年。その次は5年。好きでいる。
 そのために、今日の好きを重ねる」


目標を決めて、どうしたらそうなれるか、大まじめに作戦を練った。
色々調べたり、経験則からアイデアを出したり、とにかく、思いついたことを片っ端から試した。

失敗とか無駄もあったけど、効果的なものもあった。




普段通らない道を遠回りするくせをつけたり、バイクでこまめに出かけたり、イラストに本気に打ち込んだり、360度表現に挑戦したり、カメラの撮り方を変えたり。
動画の見方や本の読み方から、朝起きてからのルーティンワーク、細かいところでは歯磨きのタイミング回数まで、いろいろやった。


それぞれ書き出すときりがないけど、たとえばイラストなら、描く以上にものすごく「観る」経験が得られるので、頭の中により詳細なリリさんが浮かぶようになったので、幸せになった。





それから、特に効果を実感したのは、文章。
書く文量が、ものすごく、めちゃくちゃ増えた。


朝起きた時に頭を回転させるための日記帳や、イラスト用のノート、日中思いついたことを何でも書くメモ帳、スマホのメモ帳、PCのメモ帳、リリさんへの想いだけをひたすら言語化して書き綴る自分用ブログ、それにこのブログ。

(カレンダーやスケジュール帳にその日やったことを書き込むのもいい、という話もあったけど、これは続かなかった)




書くことが日常になって、とにかく思いついたことをなんでも言語化するくせがついた。
言語化すると、自分がどう思っているか、とか何を大切に考えているのか、とか、普段意識しないようなことを色々理解するきっかけになった。


媒体に関しては、ホワイトボードとかルーズリーフとか色々試したけど、100円ショップのメモ帳とノートを雑に使っている。
読み返すことは滅多にないけど、書く行為自体が、自分の思考をたどる上で重要なんだと思う。




たとえば、


「リリさんを好きだ」


と頭の中でただ思っているだけだとそれだけなんだけど、実際にそれを文字として書き始めると、「どこが好きなのか、どれくらい好きなのか、その好きはたとえるとどういう種類の好きなのか」という風にあっという間に文字数が溢れていく。


ただ漠然と思っているより、言葉にする方がずっと、自分自身の心に響く。






そうやって書くことが増えると、考えることも、幅も、どんどん増える。



たとえば、このブログでも書いたけれど、「それでも、いつか必ず別れが来る」なんて……


そういうことをわざわざ言語化したのも、本当はそんなの想像したくない、考えたくもないことだけど、でも、そこに向き合うと、今この瞬間を大事にしないとって心がもっと強く燃えるから。

「時間は平等」で、過ぎた時は戻らない。
そう思うと、もっともっと、今日のリリさんを今日の精一杯で好きになれるから。



それから、面白いことに、

そういう心のねっこに響く重たいことを考えるときには、リリさんを残して先に逝きたくないなぁとか、でもリリさんに先立たれるのも絶対嫌だなぁとか、本気になって悩んでいる自分を見つけることがある。

多分心は、重たいことはふたつ同時に考えられなくて、現実感がいろいろバグるんだと思う。





リリさんのことをいつでも思いつくまま書くための紙のノートと、自分用ブログを用意してあって、前者は3冊、後者は記事数が200くらいになった。


今も、こんな風にリリさんについて思ったことを書いていくと、ああ、俺ってリリさんを本当にめちゃくちゃ好きなんだなぁ、ともっと好きになる。


大げさかもしれないけど、こういうことを毎日毎日こつこつ積み重ねたから、今日の自分が一年前の365倍リリさんを好きでいるんだと思う。


繰り返すけれど、1年前の自分が、感動を消化だけして、自分から何も動かなかったら、「今こうしてリリさんを好きでいる自分」はいなかった。





……やっぱり自分で自分を、よくやったと褒めてやりたいって思う。


心の底から本気で打ち込めること


一年前、リリさんと出会う前。
その頃はずっと代わり映えのしない毎日を送ってた。

元々何事も割り切るのが苦手だったから、仕事とプライベートの切り分けも曖昧。
一ヶ月休日なしでだらだら仕事してるなんてことがよくあったけど、別に苦じゃなかった。

いつからか自分の欲しいもの、手に入れたいものみたいな欲求も特に湧かなくなって、数年くらい、趣味にお金を使った記憶がほとんどない。

せいぜい本とマンガと、たまにソシャゲに課金するくらいだったと思う。


この期間は旅する気にもならなくて、たまに山に登ったり、あとYouTubeでサバイバル動画を見て、冒険した気分を味わうのが楽しみだった。

振り返ってみた時に、2年前~5年前あたりにあったことや何をやったかの区別がまったくつかないので、この数年は本当に起伏のない日々だったと思う。

たぶん、その間で一番達成感があったのは、とあるソシャゲのランキングで上位入賞したことだろうか。

これがものすごく大変で、期間中は仕事以外、睡眠時間も削ってひたすらスマホに釘付け、一番効率のいい選択だけを機械的に延々続けるという苦行を重ねたトロフィー。

それでもその結果が出た時には「ああ、自分もまだまだひとつのことに、こんなに集中することができるんだなぁ」と自分に感心したことを覚えている。

それ以外には大きい出来事はほんと何もなかった気がする。マジで。


それでもそれはそれで幸せな日常だったとは思う。

仕事は喜んでくれる人がいて、自分が求められていて、健康であればながく続けていけるから、まあ人生このままでもいいかなぁ、となんとなく満足していた。



ただひとつだけ、子供の頃からひとつだけ、ずーっと引っ掛かっていたことがあった。

何かに全力で夢中になってやり遂げたことがない、ということ。

それだけはずっと、欲しかった。

子供の頃から、心から全力で打ち込めるものにあこがれていた。
人生かけて情熱を燃やせるもの、あるいはこと。


自分にはそうまで思えるものとの出会いはなかった。

もしいつか、そういうものに巡り合えたら、他人にバカにされてもいい、思い切り、全力で、それに打ち込んでみたいなぁ。
いつか、自分にも見つかるといいな。



いつからか、そんなものは、見つからない方が普通なんだと薄々気付いていたんだけど。









でも、見つけてしまった。


出会ってしまった。







ずっとずっと、欲しかった、心の底から夢中になれるもの。
本気で追いかけたいと思えるもの。




今は、その、ずっと欲しくて仕方がなかったものがあるから、本当に楽しい。
出会えたことがうれしい。

本気で色々なことに打ち込むからこその苦しさも、不安も、以前の何倍もあるけど、そのぶん楽しさもずっとずっと、大きい。

そうやって表現したものを、これからもネットに公開するかどうかはわからない。
今も、描いた絵のほとんどや大半の文は自分の元だけにとどめている。

自分のためだけに描いた絵。自分のためだけに書いた文。
その想いを忘れないためにも。




ともかく停滞したら、忘れていくだけだと知ってる。

本気で自分の情熱を忘れないためには、前へ進み続ける、現在進行形で情熱を燃やし続けるしかない。


いけるところまで。
それを今日も、明日も、重ねていって、目標は、生けるところまで。





リリさんと。




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