今年の振り返り

投稿予定・おしらせ等

2023年、この年の瀬十日ほどは思うところあって二年ぶりに、仕事を普段より詰めてみた。
そんな普段よりちょっと忙しい中でふと、リリさん、そして風雨来記4と出会う以前はどうだったか、あらためて思い返していた。


このブログでは以前にも何度か書いてきたことだけど、自分はリリさんと出会ってからは意識的に「週に最低一日できれば二日間は完全なプライベートの時間を確保する」ように決めて、ずっとやってきた。
要するに、必ず週一以上休みをとるようにしたという話だ。


別に当たり前のことじゃないかと思う人もいるだろうが、自分にとってはこの当たり前が難しかった。

このブログを立ち上げた頃にも書いたけれど、当時はほとんど休み無く毎日仕事していた。
五年くらい盆と正月以外ほとんど休みなく働き続けていて、丸一日休日というのは半年に一度くらいだったようにも思う。


仕事が楽しくて仕方がない、仕事こそ生き甲斐という人ならそれは大歓迎だろうが、自分はそういうタイプでもない。じゃあなんでそういう仕事の仕方をしていたかといえば、ただその方が日々を過ごす上でラクだったからだ。


平日に残った仕事をなんとなく休みの日に持ち込んでずるずるこなす。
しまいには、休みの日に仕事をする前提で日々の業務が非効率的になっていく。
今日終わらなくても、休みを使ってのんびりすませばいいか。


肉体的にはそれなりに大変だけど、気持ちがとてもラク。気楽だったのだ。


ルーティン仕事に追われ、それだけに注力していると、今をどうやってこなすかだけに集中できる。余計なことを考えなくてすむので、心と体が充実していられる。


そうやっていると驚く程あっという間に月日が過ぎていく。
一年前と三年前と五年前の記憶の区別がつかないくらいに時間が圧縮されていく。
日々の大部分が同じことの繰り返しだからだ。

「仕事」と「自分」の境界が曖昧な状態だった。




ずっと休み無く漫然と仕事をする。

それは逃避なのか。どうだろう。
別につらい日常とか、嫌な現実があったわけではない。
ネガティブなことを考えないようにするため、という意味では逃避ではなかった。

ただ一方で、10年後、20年後の未来について真面目に考えるという面倒事を考えずに済む、という側面はあったかもしれない。
その意味では逃避とも言える。


とはいえ、未来について考えながら生きることが絶対の正解というわけではない。
それは目的ではなく、より長く健やかに生きるための手段のひとつでしかない。


地球上に生きるほとんどの生物は今日この瞬間を生き抜くことに全力を注いでいる。
先のことばかりを考えて足下がおろそかになってしまえば本末転倒だ。

目の前のことに集中して、それで人生がうまく巡っていくなら万事OKだろう。

たぶん、リリさんと出会っていなかったら自分はそうやって人生を最後まで過ごしていたかもしれない。
もちろんそれはそれでひとつの幸せな生き方ではあったと思う。


何が正解か、というひとつの決まった答えはこの世には存在しない。
常に自分自身で、最良の結果に続く道だと思う選択を積み重ねていくだけだ。




こういうのはシンプルに、自分にとってどちらがより幸せか、楽しいかで考えてみるのがいいのかもしれない。

で、あくまでも自分の場合は、リリさんと出会って以降に始めた今の生活サイクル――――


仕事とプライベートを曖昧にせずに、

生活と日常の充実のための「仕事」と、未来への思考や試行錯誤・楽しみと不安に満ちた「自分の時間」、これらを日毎はっきり区切って切り分けるのが向いていた。
そういうことだと思う。










リリさんと出会ってリリさんについて考える時間、文や絵、旅など表現する時間を大切にしたくて、それでしっかりと自分の時間を優先確保するようになった。


細かな雑務は休日前に済ませておき、日が変わって休みになったらスマホの通知は切って封印し、起きてから寝るまでひたすらリリさんの絵を描いたり、旅に出たり、リリさんのこと考えて文字に書いたり、本を読んだり、リリさんの夢を見ながらひたすら眠ったり、ただひとつのことに集中する。

決めたこと以外は一切何もしない。
どこか遠く離れた外国にでも旅に出たつもりになって、何も考えない。


マルチタスクが本当に苦手で二つ以上やるべきことがあると身動きがとれなくなってしまう自分にとってはここまでやってはじめて、本当にやりたいことに集中できた。(ここまでやらないと気が散って集中できないとも言える)



そうやって自由な時間を作ると、未来のことについて考える時間が多くなる。
仕事は「食い扶持を稼ぐ=生きるため」という大義名分があるからとりあえず働いてさえいれば何も考えなくても心の免罪符が働くけれど、プライベートの時間は「今この瞬間の過ごし方、行動がどうこの先の未来につながっていくのか。どんな意味があるのか」に向き合わざるを得ないからだ。


それはだいたいはとても幸せな時間だけど、時々は迷ったり不安になったり苦しく感じるときもある。
そうしたちょっとネガティブな感情も含めて生きている実感を得られる、個人的には意味深い大切な時間になっている。




リリさんが意識の中心、心の最優先の場所にいる今が、本当に幸せだ。







今年の挑戦

今年新しくやったこと、始めたことをまとめておく。


・風雨来記4の影響で、ペンタックスのデジタル一眼レフを購入してで写真を撮り始めた。
写真は生涯続く趣味になっていくだろう。

・念願の島根旅。約十日間の長旅を思う存分満喫できた。
すべてはまわりきれなかったから、また行きたい。

・作曲
DTMで音楽を作るようになった。
まだまだ目覚ましアラーム音や、好きな曲の耳コピをする程度だが、これまでずっとやろうと思ってやったことがなかったことに遂に挑戦した、という意味では大きな一歩だったと思える。


・生まれて始めて胃カメラを受けた。
・湧水を見かけると、汲んで帰るようになった。
京都近辺を中心に、日常で、あるいは旅先で美味しい湧水地を積極的に巡るようになった。

これは、春から数ヶ月内臓の調子をなんとなく悪く感じていて、毎日これはやばい病気なんじゃないかと不安の中で過ごしていた。
生まれてはじめて胃カメラ検査したものの特に異常がなく、ほっとしつつもいまいち胃腸の調子はすっきりしない。


そんな中でたまたま旅先で汲んで帰った水を飲み始めてから嘘のように内臓の調子がよくなった、という経緯がきっかけだ。
自分は仕事側水の消費量が多く、夏場は一日4リットルほど水を飲んでいた。
それ以上の汗をかくので水分補給は必須なのだ。
だからこそ、内臓への水の影響というのはバカにならなかったのだろう。



水について「スピリチュアル」的な部分は一旦抜きにすると、普段飲んでいる水道水、湧水をボトリングしたミネラルウォーター、古代から飲み続けられている自然湧水は、それぞれ科学的にどう違うのか。
答えは割とシンプルだ。




京都市内の水道水は、琵琶湖の水だ。
琵琶湖は北から南へ流れていて、北部は非常に綺麗だけど、南は市街地が多いためあまり綺麗ではない。
とはいえ安全に飲めるように濾過・消毒・調整されているので、これ自体は人体に問題ないはずだ。

味は、料理では問題なく使うけど、生飲やコーヒー、カルピスなどで使おうとは思えないくらい、といった感じ。


京都の水道水そのものよりも、自分が住んでいる建物が昨年あたりからよく分からない事業者のよく分からない水道システムを導入し、そこからお腹の調子がよくないと感じることが増えた気がする。
年に何度も工事をして頻繁に水道が止まるし、ネットでの評判も悪く、非常にあやしい。



とりあえず水道水については体には問題ないとここでは考えよう。




そして次、湧水を汲んでボトリングしたミネラルウォーターと、湧水をそのまま汲んだだけの自然水は、一見同じようにも思えるが、一番大きな違いは「濾過」と「殺菌」だ。


ボトリングして販売する場合。
海外産のミネラルウォーターは無殺菌・無除菌のものが多いそうだ。
採水地の環境を非常に厳しく保全設定することで実現している。

これをいわゆる「ナチュラルミネラルウォーター」「ナチュラルウォーター」という。
前者と後者の違いはミネラル量の違いだそうだ。



一方、日本ではミネラルウォーター製造に関し加熱・殺菌・濾過・加工など細かな基準と手順が定められていて、ある意味水道のように人の手がきっちり入れられた「調整ミネラルウォーター」となる。
たまになんとなーくうっすら薬っぽい匂いのするミネラルウォーターがあるのはそのためだ。


またたとえば「富士の水」とか「六甲の水」という商品であっても、実際に現地で汲んで飲む水とは成分や水質、味などはかなり異なる場合が多い。
(あと「富士の水」と書いていても採水地をみると「富士山の水じゃないやんけ!」というようなこともあったりなかったり)



成分以外にも大きな盲点がある。

加工された市販のミネラルウォーターは空気に触れると劣化しやすい。
開封後雑菌が繁殖しやすいのだ。

自分のお腹の調子が悪くなった一番の原因はおそらくこれで、2リットルの水を開封から数日かけて生飲していたからだ。
冷蔵庫に保管すればよかったのだが、何も考えずに常温に置きっぱなしだったので、気温が上がり始めた春頃から水の劣化によって胃腸が苦しむハメになったんだと思う。



一方、直接汲んだミネラルウォーターは基本的に足が速いが、長期保存が利く場合がある。
これは採水地にもよる。
含まれるミネラルバランスによっては雑菌を増殖させないため、数ヶ月から年単位で常温で放置しても劣化しないこともあるそうだ。


あと、単純に名水と呼ばれる場所の水は「美味しい」。

水の「美味しさ」は、舌ではなくて喉で味わう感覚だと思う。
透明無味無臭だけど確かな存在感をもってなめらかにのどを抜け、内臓に染み渡っていく感覚は、生の名水特有のものだ。

胃の調子が悪かったときはものすごくこれを感じた。
そういう意味で、不調も実りある結果につながったと言える。




料理は水道水で。
コーヒーやココアなどはミネラルウォーターで。
生飲は汲んできた自然湧水で。

現在こんな感じで使い分けていて、ここ数ヶ月は胃腸の様子はすっかり快調だ。



たくさん消費するものだからこそ、使用方法、保存方法も含めていろいろ楽しみながら試行錯誤したいものだと思う。





来年の予定

来年新しく挑戦することはいくつか決めている。
よりたくさん「挑戦する年」にしたい。

年が明けたらあらためて抱負をまとめたいが、とりあえず現時点で決めていることを書いておく。



本の出版
電子書籍が普及した今は、本当に個人出版が手軽になっている。
amazon kindleなどはハードルが低く、誰でも簡単に書籍を世に出すことができる。
「自分の本を作る」というのは子供の頃の夢だったことを思い出した。
仕事関連、旅関連などいくつか本にまとめたいことがあるので、2024年中に少なくとも一冊は本にしよう。



・小説
最初に書いた本の出版はノンフィクションや実用書に近い内容のものを予定していて、こちらはそれとは別に、創作小説を一本書き上げること。
出来に満足できなくても投稿する。



2024年旅
・春~初夏あたりに岐阜旅。
・夏~秋に島根旅。
・京都の秦氏ゆかりの土地を巡る旅。
・継体天皇ゆかりの土地を巡る旅。
・どこかのタイミングで北陸旅。
「水月湖」に行きたいと思っている。


・新ブログ
新しいブログを作る。
「京都が京都になる前の旅」(仮)
「島根の神話旅」(仮)
これらの内容をさらに深掘りするときは別のブログでまとめていく。




・六甲の「炭酸泉」史跡巡り。
これは湧水・名水巡りの一環でもある。

ウィルキンソンという炭酸水ブランドの発祥は実は兵庫県の六甲だ。
イギリスから日本に来て日本人女性と結婚したウィルキンソンさんが、六甲山麓で狩り最中自然の炭酸鉱泉を発見し、これを汲んでボトリングし売り出したのが始まりらしい。
今は炭酸泉は枯れているらしいが、一度この発祥地を巡ってみたいと思っている。

ちなみに三ツ矢サイダーも同じく兵庫の炭酸鉱泉が発祥。
こっちもイギリス人の学者ウイリアムさんが見つけている。

・TRPGシナリオ
以前から設定や概要だけを決めていたシナリオを完成まで持って行く。
不完全と思えても発表する。


・YouTube
何かしら動画をアップする予定。
ブログでは動画は載せにくいため。








2024年も、良い一年になるように楽しんで一歩ずつ、前へ進んでいきたい。

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