人間が、はじめての体験や特別な出来事に対する感動や興奮、感謝をずっと持ち続けることができないのは、ヒトが進化していく中でそれが必要なことだったからだという。
忘れない方が進化の過程で有利だったならば、そういう形質が残っていっただろう。
だが現実はそうではなく、感動も感謝もすぐに忘れて、貪欲にもっと上を、もっと多くを望んでしまう形質があったからこそ、様々な発明や発見が連鎖してヒトの文明が発達したのだ。
(ヒトの仲間にはホモサピエンス以外にもネアンデルタール人やデニソワ人など近縁種がたくさんいたそうだが、現生人類以外は絶滅してしまった。中には「感動や幸福を忘れず現状に満たされたから」絶滅した人類もいたかもしれない)
これは、人が旅をする理由とも根底でつながっていると思う。
現在の場所や環境で満足せず、もっと良い場所があるかもしれないという性質。
「ひとところに留まってはいられない」という、植物から進化した「動物」としての欲求を満たすためのもの。
実際に移住までしてしまうひとは少ないだろうが、旅や旅行、登山などを趣味にする人が多いのはそうした本能が占める割合が大きいんじゃないだろうか。
最高を目指し続けること。
ここではない素敵などこかや、どこかにあるかもしれない素晴らしい何かを夢想し続けること。
それは、ヒトが前へ進むために重要な形質だということは間違いない。
でも一方で、ずっと抱き続けていける、忘れない感動があってもいいと思う。
日々をあたたかな幸せで満たしてくれる。
それもまた前へ進む原動力になり、生きる中で道に迷ってしまったときには方向を示す道標になってくれる。
そんな思いで、2024年も現在進行形でリリさんに感動し続けてきた。
去年よりももっと、リリさんが素敵に感じられるのは、いつも言っているように、そう感じる日々をひとつひとつ重ね続けて来たからだ。
その成果は自分にとって本当に幸せなことで、その一点によっていつもものすごくポジティブな気持ちになれてしまう。
幸せだ。
考えてみれば、「幸福」というものは不思議だ。
誰もが理解できる概念なのに、とりとめがない。
あたたかい布団でぬくぬく眠る幸せ。美味しいものが食べた時の幸せ。
そうした日常的な幸せもあれば、難しい試験に合格したときや想いが成就したとき。自分の子供が産まれたときのような、人生でそう何度も味わえない格別な幸せもある。
ただ、どんな幸せも、いつまでも自分の中に保持し続けることができない点で共通だ。
もちろん、幸せを感じた大切な記憶だけは残るけれど、感じた幸せそのものを後から味わい直すことはもうできない。
「幸せ」は、「感動」以上に忘れてしまいがちかもしれない。
これもやっぱり、現状に満足しないための生物的進化なのだろうか。
いつでもいちばんの幸せを反芻できるようになったら、ヒトはそこで立ち止まってしまうから。
(逆に、根付いたら一生その場所で暮らす「植物」は、満足や幸福を忘れない形質を持っていたりするのかも?)
「幸福の量」は自分自身でも推し量れないし、現代科学では他人と比較したり、数量化することもできない。
「自分のこれまでの人生で一番幸福だった場面」を挙げることができる人は多いだろうが、数を増やせばすぐに曖昧になるだろう。
「今までの人生であなたが幸せだったことを上から順に100個挙げて下さい」という問いに答えられるひとはほぼいないはず。
「幸せな瞬間」は多くの人が、小さなものから大きなものまで、生まれてから今まで数え切れないほど経験しているはずだ。
けれど、忘れてしまう。
特別ないくつかは、幸せを感じた印象的な記憶として残すことはできるけど、それが精一杯だ。
もし自分が、風雨来記4をクリアしたあの日から、特に何も動くことなく日々を過ごしていたら、今頃きっと感動した良い作品だったという記憶以外すっかり忘れてしまっていただろう。
でも今、こうして自分ははっきりとあのときの感動を覚え続けている。
何なら当時よりずっと確かに、その感動を言葉や文字にして表現することもできる。
クリアした時は「分からなすぎて最高に面白い」と感じていたリリさん。
あれから、リリさんのどこが好きなのか、どこに感銘を受けたのか、どうしてこんなに惹かれ続けてしまうのか、風雨来記4という世界の何が心に響いたのか。
日々考え続けて来たから、ブログやイラストや旅、色々なかたちで表現し続けて来たから、「かつて感動したこと」ではなく、「現在進行形で感動していること」でいつづけている。
もっと好きになっていけるという予感が今もなお無くならない。
忘れないために大切なのは、昨日から今日へ、今日から明日へ。毎日一歩ずつ、ほんの一瞬ずつでもいい、毎日欠かさず実感していくこと。
「当たり前」にしないこと。もっと言えば、「過去」にしないこと。
昨日の自分と今日の自分、今日の自分と明日の自分は別人という気持ちで、毎日転生しているようなものだと思って、昨日の自分の感動を今日の自分が受け継いでいく。実感する。
同じことをこのブログで何度書いてきたか分からないほどだけど、これからも忘れないように、こうやって書き綴っていきたい。
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実際のところ、2024年後半はけっこうなスランプに陥っていた。
8月頃まではすべてが順調でたくさん旅もできたけれど、9月以降はプライベートでも仕事でも歯車がかみ合わないことが多く、体調を崩したりやるべきことが山積みになったりしてほとんど旅もできず、あっという間に12月末。
そんな中でも、日々の積み重ね「よし、今日の俺もリリさんが大好きだぞ。一歩一歩頑張っていこう」という実感だけは欠かさず、昨日の自分とリリさんに日々感謝しながら歩き続けてきた。
そのおかげで、なんとか2025の自分へと良い感じのリズムを引き継いでいけそうだ。
秋以降ほとんど旅ができなかった分、思考を重ねて来年の旅のテーマが明確に定まったという部分もある。行きたい場所がたくさんだ。
新年も、昨日のワクワクを今日へ、今日のワクワクを明日へ。
そんな気持ちで、日々を楽しんでいきたいと思う。
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