初午と稲荷2024

京都が京都になる前の旅

もちを的にして、弓の練習をしていたら、もちが鳥に変わって飛んで逃げた。
追いかけていくと山の上にたどりつき、そこには一本の稲穂が生えていた。

これが風土記の「伊奈利」、いわゆる「伏見稲荷大社」発祥の伝説で、西暦711年二月の最初の午の日(初午はつうま)の出来事だったと言われる。
このため、毎年二月の初午の日には大祭が行われている。
(元々は旧暦の行事だったが、現在は新暦の初午の日に行う)




去年も全く同じ書き出しで記事を書いた。
一年ぶりで今日も、朝いつもより少し早起きして仕事前に参拝してきた。



2024初午




去年の二月初午は日曜と重なったが、今年は祝日と重なった。
午前七時時点でもすでに参拝者は多く、見る間にどんどん混んでいく。
もう一時間も遅いとさらに人で溢れるだろう。
さすが有名観光地。


早く出てきて正解だった。



過去の記事でも書いたけれど伏見稲荷は、稲荷山の頂上付近にある三つの遺蹟(古墳)を信仰対象とする神社で、それぞれに対応して、上から「オオミヤノメ」「サタヒコ」「ウカノミタマ」という三神が祀られている。

「稲荷神」はいわばこの三柱による集合体ユニットだ。
稲荷という名の固有神がいるわけでも、ウカノミタマ=稲荷神というわけでもないのだ。


お参りするならできれば毎回、山上の神績を巡りたいものだが、稲荷山は標高233メートルと低山の部類とはいえ行って帰るだけで数時間かかるくらいには山内が広い。

今回は仕事前で時間がないため、麓にて遙拝させてもらうこととした。






この大きなおたふくは、地元芸大生の作らしい。

おたふくはアメノウズメがモデルとされる。
アメノウズメは中世においてオオミヤノメと同一視されることがあったので、そうした縁もあってのおたふくなのかな。











参拝終了。
今年も無事お参りできてよかった。


拝殿の向かいには、今年も野菜の祭壇が形作られている。
裏には大量のお米やお酒、ジュースなどが山と積まれていた。













最近個人的に自分が注目してしまうのが、稲荷本殿の裏手にひっそりとある大八洲おおやしま社だ。

社、とあるが建物は何も建っていない。
柵で覆われた内は、岩と木と木の根が露出した地面、ただそれだけ。
ぽっかりと空いた空間。






ここは観光客もあまり通らず、文字通り「穴場」となっている。


看板によれば、この磐境で祀られている神様は、稲荷がやってくるよりもっと古くからこの山上で祀られていた地主神と考えられているようだ。

実際、この周辺は京都盆地でも最初期に稲作がスタートした土地なので、田んぼから一番身近かつ目立つこの稲荷山(当時は別の名で呼ばれていただろう)が信仰されたのは自然な流れだっただろう。

平和的な手段だったか武力的な手段だったか。
ともかくかつて山上に住まった地主神は稲荷にその域を明け渡し、いまはここに座している。

看板には「禁足地」という言葉も使われている。

禁足地。
「入ってはいけない」場所。



一方で、「禁足」という言葉は全く逆の意味を持つ。
「禁足」とは「そこから出るのを禁じる」という外出禁止の意味なのだ。

入ってはいけない。出てはいけない。

地主神を鎮めた(封じた?)というこの磐境は、はたしてどっちの禁足なんだろう。




ここについては今後あらためて、古代京都の歴史とあわせて深く調べていきたい。




伏見稲荷と稲荷山






わるいおみくじ

余談だが、年に一度ここでおみくじを引くことにしている。
リリさんと出会った次の年に初めて「大吉」を引いて大変嬉しかったことを覚えている。

だが、それ以外の年はだいたいほとんどかんばしくない結果になっている。
今年もだ。


伏見稲荷のおみくじに「大凶」はないけれど、「これ実質大凶やろ」的なもの27番※があって、自分はこの10年で(今年含めて)三回それを引いた。
これは結構、いやものすごい確率なんじゃないだろうか。

32種類あるおみくじのうちたったひとつしかないそれを、十回中三回引く確率……

詳しい内容は「伏見稲荷 おみくじ 27番」で検索してみて下さい




とはいえ、引いたおみくじの捉え方は自分の心持ち次第。
個人的には、自分の人生の、あるいは日々の生活の役に立つように柔軟に受け止めるのがいいと思っている。


たとえば「病気」の欄に、去年は「すごくやばいけどなんとかなる(意訳)」と書かれていた。
(確かに胃腸の調子を数ヶ月くずして、最終的には良くなったので、当たってるかもしれない)

で、今年の「病気」の欄には、「超やばい。気をつけろ(意訳)」とあった。
えぇ……


ここで、いっそそんな運勢信じない!というのもひとつの手なんだけど、良い感じにふわっと信じて、


『確かに最近夜更かし気味だったし、胃腸の調子が良いからってちょっと油断して食べ過ぎたりしていたかもしれない……これを気をつければいいわけか』


と自分の生活態度をポジティブに見直すきっかけになれば、「悪いおみくじを引いたおかげで自分の得になる結果」にもつながるだろう。


人間、事故を起こせば、次からは気をつける。
病気をすれば、健康に気をつける。

でも何もない状態で、気をつけるというのはなかなかきっかけがないと難しいこともある。
「悪いおみくじ」は、そんなきっかけのひとつ――

くらいに思えば、ああ、悪いおみくじ引いてよかった、とも思えるんじゃないだろうか。

思えないだろうか。

思ってみよう。



というわけで今日は早く寝ます。

コメント

  1. 紅茶 より:

    おみくじ、自分もなかなか結果が良くないので引くのを辞めていました。
    確かに、一つのきっかけくらいに考えて引くと違って見えて来ますね。
    これからは、おみくじ引いてみてもいいかななんて前向きな気持ちになれました。

    • ねもと より:

      おみくじは夢のようなものかもしれませんね。
      良い夢が見られたら得した気分になるし、悪い夢をみれば嫌な気持ちになる反面「夢で良かった」とほっとして、それが正夢にならないように心を引き締める。
      自分にとってなるべくプラスになるように、うまいこと解釈していければいいなと思っています。

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