母里の郷を巡る旅【島根旅2024・前編】

2024島根旅

まえがき

約十日間の島根旅から帰ってきた。

今回のバイクでの総走行距離は、1800キロほど。
京都から島根までがほぼ300キロなので往復分600キロを差し引けば、島根県内を1200キロくらい走った計算になる。

去年の旅と併せれば、ひとまず島根を一周したと言えるくらい走れたと思う。





去年の旅では台風の影響で半分くらい雨風に見舞われたが、今回は道中晴れ続きで雨具要らずの旅となった。


出発前にも書いたが前回は出雲(島根東部)中心の旅だったので、今回は石見(島根西部)を中心に巡った
出雲とはだいぶ違った雰囲気で、昨年の旅以上に自分の中で「島根」のイメージが大きく変わったように思う。



石見地方は、「石見」の名前通り、岩壁や鉱山、地質、石、山、渓谷・峡谷の見所が多い。
銀や銅など鉱物の産出の他、近年では日本最古の石なんてものもこの地域から発見されている。


そして、そうした多様な石=ミネラルがとけ込んだ水が、川を通じて土壌を育み、豊かで美しい海=漁場をも支えている。

島根で最も古い旧石器時代の痕跡から、至るところに湧いている温泉、近世の鉱山開発、石炭で動く汽車鉄道まで、様々な時代にヒトを豊かにしたのも、そうした「石」の恵みだったことを今回はじめて、知った。















自分が島根旅で訪れる場所の指針は、大きくふたつある。


ひとつは、「リリさんを想像できる場所」。
島根内で主人公とリリさんが訪れるかも、訪れるに違いないと思える場所を発見、探索して想像をふくらませたり、リリさんの「生まれ育った故郷の土地」のイメージを、自分の目で実際の風景を見て自分なりに考えて巡る「取材」の旅。

これは旅している最中の楽しさもいちばんで、さらに旅が終わってから絵や文章の土台にもなり、また次の旅へとつながっていく自分にとって根っこにある要素だ。




もうひとつは、神話・古代出雲にかかわる場所。
こちらは日本神話や出雲国風土記ゆかりの土地、神社、古墳、遺跡、史跡公園などが中心になる。

これを調べることは、自分が京都を旅したり歴史を調べたりする中で、「京都が京都になる前」について考える材料として重要になってくる部分。




去年の旅は最終的に、両スポットが半々くらいの割合になったが、今年は出雲ではなく石見を中心に巡ったこともあって前者が九割。
神話伝承よりも、ほとんど終始リリさんについて考える旅になった。


去年と体感で一番違ったのは、今回は旅している中でなんども『自分が今いる場所が島根だということを忘れてしまった』ところ。
それは、旅の中で自分がこれまでばくぜんと抱いてきた「島根」のイメージとはずいぶん違うもの、事前には全く予測していなかったような風景と何度も巡り会った結果なのかもしれない。





旅の具体的な模様は、機会を見つけてまた詳しくまとめていきたいと思っているけど、今回は、撮影してきた写真を載せながらスポッごとにざっと振り返っていこうと思う。


自分がこの旅で感じてきた、島根っぽいところ、島根とは思えないところ。
住んでる人からすれば当たり前で、探訪者にとっては意外な側面。


そんな様々な雰囲気がほんの少しでも伝われば幸いだ。











神様の杭(ペグ)  ――三瓶山


三瓶山(さんべさん)。
風土記の時代では「佐比賣山(さひめやま)」と言って女神の名を持つ山だった。
出雲と石見の境にある山で、出雲神話では国土創世の際に打ち込まれた「巨大な杭」とされている。


昨年は男三瓶山(一番高いところ。標高1126m、島根県最高峰)へ登山に挑戦し登頂を果たしたものの、雨・風・濃霧で視界ゼロだった。
カメラもバイクも故障して散々だった思い出がある。
1年ぶりのリベンジ。


今年は到着したのが夕方ということもあって、リフトを利用することにした。








これが大正解で、楽ちんなだけでなく、リフト移動そのものがとても楽しかった。

眺望が良く、刻々と高度があがって角度も見える景色も変わり、全く飽きない。
行きも帰りも子供心にかえったようにワクワクして楽しめた。










帰りのリフトまでの時間は45分しかなかったので、リフト乗り場から一番近い山頂である女三瓶山まで急いで登った。
登山道が綺麗に整備されていて、勾配はややきつかったが問題なく登頂することができた。







山頂の風景はすばらしかった。


ここはいくつかの山々が円状に連なっていて、山上をぐるっと一周することができるそうだ。
次回はもう少し時間に余裕を持った上で、ぜひ挑戦してみたい。
来年も訪れようと思う。








ここでちょっとしたトラブル。

駐車場に帰ったらバイクがひっくり返っていた。
太陽熱でアスファルトが溶けて、サイドスタンドが「杭」のように地面にめり込んでしまったらしい。





うわぁ……見事に刺さってる。



荷物を一旦降ろしてバイクを起こし、再度荷物を積み直しおそるおそるエンジンをかけると、特に問題なく動いてくれてほっとした。







石見銀山の残欠 ――清水谷製錬所跡/鞆ケ浦


石見銀山で、去年訪れそびれたところに立ち寄った。


雑草が生い茂って随分古いものに見えるが、ここは明治時代の精錬所跡だそうだ。
巨額を投じて開発されたものの、たった一年半で操業を終えたらしい。




「石見銀山」の間歩(坑道)は、公開されているものはごく一部で、その数十倍も未公開のものがある。
周辺の山はアリの巣のように穴だらけだ。
中には、「ガイドツアー限定で入ることのできる坑道」もある。


そうした鉱山そのものだけではなく、周辺地域の港や古道、山中の鉱山街跡など、山から海まで広がる広い地域全体に「世界遺産・石見銀山」の要素が散らばっているということが、昨年今年と続けて来た旅の中でようやく実感として分かってきた。












鳴き砂で有名な琴ヶ浜から、トンネルを抜けた先にある小さな港、鞆ケ浦。

ここは石見銀山から直線距離で6キロほど離れた一番近い港だったため、銀山から採掘された銀は最初、この鞆ケ浦で船に積まれて搬出されたという。
最盛期は多くの家屋が建ち並んでいたらしい。

その後、銀産出の増大など諸事情からもう少し南の温泉津や沖泊がメイン港として使われるようになって、ここは衰退していったそうだ。



石見銀山の銀はそのほとんどが間接的に海外輸出され、最盛期の17世紀前半には全世界の銀の「三分の一」を占めていたと言われている。
この、隠れ家のように小さな「浦」からも、相当量の銀が船に積まれ旅立っていった、そんな時代が確かにあったのだ。









偶然出会った元地元のおじさん(お盆なので里帰り中)の話によると、以前はコンクリートの護岸などもなく、岩がむきだしのとても美しい自然港だったという。
現在はトンネルがあるけれど、それが出来る前は山をひとつ越えないとたどりつけない陸の孤島だったんだとか。





この写真はそんな「旧道」を撮ったもの。
驚くべきことに今もこの狭い急坂を、郵便局のバイクが毎日往き来するという。








このガードレールのある道は、昭和30年代に地元のひとたちがお金を出し合って通した、鞆ケ浦と隣の集落とを結ぶ車道らしい。
これが出来る前は、人が歩くための山道しかなかったそうだ。

この山道は、かつて数百年前、石見銀山の銀が人力で運ばれてきた「銀の道」でもある。



山道は、今は石見銀山の遺跡として保存維持されている




今は海沿いに道路とトンネルが出来て他地域との往来はさらに便利になったそうだが、この道はまだ現役で大切に使われているようだ。
道の脇にある記念碑には、当時の工事関係者一人一人の名が手掘りで刻まれていた。












リリさんと海辺で ――石見の青い海

海への道。
石見の海はものすごく綺麗だ。

コントラスト強めの鮮やかな……宝石的な美しさだと思う。



こういう風景を撮るときは、いつもそこにリリさんを想像してしまう。
はしゃぐリリさんが容易に思い浮かんで、思わず微笑んでしまう。









島根の「天空の城」  ――津和野城




津和野城。
雲海の上に山城が浮かぶ「天空の城」といえば、「日本のマチュピチュ・兵庫の竹田城」が有名だが、ここ津和野城も、負けず劣らず全国的に有名な「天空城」らしい。


昼間はリフトにのって、観光客がたくさん訪れる人気スポットだそうだが、この日は朝一番に登ったら、自分しかいなかった。
(一人だけ散歩の人がいたけど、すぐに通り過ぎていった)


約一時間に渡って、雲海絶景独り占め。

秋の時期は雲海が出やすく、リフトもそれにあわせて明け方から稼働するそうだが、夏場でこんな風に雲海が出るのはけっこうレアなのかもしれない。













津和野城の登山口近くにある太皷谷稲成神社。
島根県内において、出雲大社に次ぐ参拝者数を誇るそうだ。

「稲成」という表記のイナリは、実は非常に珍しい。








津和野は、島根ではあるけど半分は山口のような、ちょっと独特の雰囲気がある土地だ。

町並みは雰囲気最高。
美しく整っていて、水路のコイを眺めながらのんびり散策していると時代劇の中にでも入りこんでしまったようで飽きなかった。









「源氏巻」というお菓子(薄く焼いたカステラ生地でこしあんを巻いた津和野名物)にはまってしまって、ひたすらリピートしてしまった。
これ、今まで食べてきた名産品の中で、一番好きかもしれない。








『ガチめ』の野湯  ――塩ヶ原鉱泉


津和野川沿いに秘湯があると聞いてやってきた。





最初枯れているのかと思った。
湯船が白く固まっていたからだ。

ミネラル(鉄やカルシウム、塩分など)を大量に含む自然温泉で、成分が濃すぎて結晶化しているようだ。
幸い、結晶化しているのは表面だけなので、手でかき混ぜるとシャリシャリした音とともに成分はまた水中に溶けていく。

今もこんこんと湧き続けているようで、湯船の一部ではずっとぷくぷく泡が上がっていた。







温泉とは言っても湯温は低い。
20度ないくらいかな?

昔は冷泉とか言ったそうだけど、現在の定義では「温度が高い」か「温泉特有の成分を持つ」のどちらかひとつでも満たせば「温泉」と呼ぶらしいので、ここは間違いなく温泉なのだ。



自分は特別温泉好きというわけではないけど、こういうワクワクする温泉スポットは大好きだ。
それは、風雨来記1で、主人公の相馬轍が野趣あふれる温泉に入ったり、屈斜路湖の砂を掘って湯船を作ろうとしたり、和琴半島で温泉たまごを作るエピソードがあって、あの轍さんのスタイルが、自分の原点なんだと思う。


そんなわけで、思い切って入浴してみた。








夏の暑さでぬくもった川の水よりもひんやり冷たい湯船に思い切って身を沈める。
身動きするたび温泉結晶があっという間に融けていく。

最近は長らく清掃されていなさそうな野湯。
底にはなんだか色々なものが沈殿していることが足の裏から伝わって来るし(湯船から出ると足が炭をかぶったように真っ黒になっていた)、水面にはカブトムシの死骸が浮かんでいた。



それでも、温度は低くとも、温泉であることは間違いない。
というのは、冷たいのに体が冷えるどころかぽかぽかしてくるからだ。
肌が、まるでお日様を浴びているみたいに心地よくちりちりする。

面白い感覚だ。











ふと後ろを振り返ると、木々の向こうの農地に箱ワナが見えた。
わな猟の免許を持ってないと設置できない、ガチのヤツだ。

イノシシ用かな。







湯船を横から見ると、あふれ出た温泉成分がかたまって鍾乳石みたいになっていた。
ところで、この写真の撮影アングルが水面ぎりぎりなのは、理由がある。


ここ、アブがめちゃくちゃ多かった。
それも「血を吸うタイプのアブ」。

こいつらは蚊の凶悪版で、刺されると強烈に痛かゆい。しかも非常に素早い。
不思議と顔を狙ってくることがなかったのは幸いだが、首、腕、足、露出している場所は容赦なく狙われる。


虫除けなど用意していなかった自分にとって、できるだけ顔以外は水面下に沈めておくのが、やつらの集中攻撃から逃れる唯一の方法だったのだ。






このあたり一体から温泉成分が湧き出しているようで、川辺の至るところが茶褐色に染まっていた。







ほっとひといき


風雨来記4に影響を受けてよく飲むようになったのが、カフェオレ。


個人的に、エナジードリンクも好きでたまに飲む。
精神的に疲れているときに向いていて、いつ飲んでも一定の美味しさを感じる飲み物だと思う。


一方で、カフェオレは体調によって「味が大きく変わる」のが体感できるのが面白い。
元気なときに飲むとやけに薄いというか、雑味を感じるくらいなのに、肉体的な疲労が溜まっているときに飲むと同じ飲み物とは思えないくらい「ものすごく濃厚で美味しく」、「すぐに元気が出る」という実感がある。

牛乳成分とカフェインの相乗効果だろうか。
この旅の期間中、毎日1本ペースで飲んでいた。

これだけ飲んでくると自分なりの「好み」もできてくる。
また機会があれば、理想のカフェオレについて掘り下げて書いてみたいと思う。







「ハミ」がいるよ。  ――雄滝・雌滝

日も暮れようとしていた頃、近くに良さそうな滝があると聞いて探していたら、地元の農家のおじいさんが通りがかった。
もうすぐ暗くなるけれど、日が沈む前に往復できるくらいの距離か聞いてみると、「こんな時間に一人で行くような場所じゃない」と言われた。「クマもハミも出るよ」


それを聞いて翌朝明るくなってから再訪することに決めたんだけど、ところでハミってなんだろう。
よくよく聞いてみると、「マムシ」のことをこのあたりでは「ハミ」と呼ぶそうだ。
ヘビ全般ではなく、マムシだけが「ハミ」らしい。

食み……マムシが「噛む」ことから来ているんだろうか。




あらためて考えてみればマムシって不思議な立ち位置だ。
他の蛇と区別されているというか、蛇なのにムシと呼ばれている。
マムシ注意の看板はあっても、他のヘビの注意喚起は見たことがない。(マムシではなくハブがいる沖縄を除いて)


調べてみると「虫」という字は、本来「マムシを象った象形文字」だったそうだ。
それが転じてヘビ、さらには小動物全般を指すようになった。

現在のように昆虫などの虫を指すようになったのは後のことで、元々そうした小動物よりさらに小さな虫は「蟲」と呼んで区別していたという。


虫=ヘビ程度のサイズの小動物(爬虫類、両生類、貝類、軟体動物など)
蟲=小動物よりさらに小さな生物


だから、マムシという現在の名前は「真虫」ととらえれば、原意通りということになる。

たくさんいるへびの中から、象形文字に使われたのがマムシだったのは、比較的人間を噛みやすく猛毒も持つ、良くも悪くも身近な存在だったためだろう。
古代中国でも、呪術に使われるほど畏れられ、同時に信仰もされていたようだ。



雌滝
雄滝



翌朝。

幸い、クマにも「ハミ」にも出会わずに滝を楽しむことができた。
ここの滝周辺も、前日の温泉と同様の成分が含まれているのか茶褐色に変色している部分がちらほら見える。

散策道も、滝の周辺も、ほどよく綺麗に整備されていてとても歩きやすく、滝も見応えがあった。
時間に余裕を持って訪れてよかった。








清流日本一  ――高津川流域


「島根で一番大きな木」。













数年前まで岐阜の飛水峡近くから発見された石が日本最古と言われていたが、最近、島根の高津川(厳密にはその支流の津和野川)流域でそれより五億年以上古い石が発見されたという。

ここの川に路頭している地層からも、何か読み取れるものもあるかもしれない。



もちろん、今は自分の知識が足りないのでこの岩場を見ただけでは何も分からないけど。
いつか、未来の自分のための資料になるかも……そんな視点でも写真を撮ってみようか。




水質全国一位に何度も選ばれている高津川。
一級河川としては全国で唯一「支流を含めて治水ダムがひとつもない」。



訪れてなにより驚いたのが、たくさん魚がいることだ。
めちゃくちゃいる。

鮎が有名な川だけど、足下にはテナガエビとか貝とか小魚なんかが手でつかめそうなレベルでうようよいて、その種類の豊富さと数の多さに感動を通り越してあっけにとられてしまった。

夜に川辺でライトを照らすと、数百匹の小魚が水面で跳ねまくって壮観だった。



これは実際に自分で訪れて、自分の目で見たからこその感想だ。









島根には間欠泉がある。  ――木部谷温泉




今回の旅で特に訪れたかった場所のひとつが「木部谷温泉」

「間欠泉から溢れたお湯をそのまま100%で使用している温泉」という、聞くからにワクワクする要素たっぷりのスポットで、昨年に存在を知ったときから訪れたい訪れたいと考えていた。

入浴は「松乃湯」という温泉宿でできるそうだけど、コロナ禍以降は運営上の問題から月に一日~数日しか営業していないそうだ。

今回はちょうど自分の旅の期間に営業日が重なっていたので、ルートを工夫してうまくその日にこの場所を訪れることができた。






噴出間隔は40~50分に一度。
吹き上がる前はぼこぼこと泡だって、直後に勢いよく立ち上る。

湧き出してすぐは透明。
それが空気に触れて化学変化を起こし、茶色く変わっていく。

この温泉に触れた手を白いタオルで拭くと、タオルはすぐに真っ黄色になってしまう。






源泉100%だが温度が低め(20度前後)なので、蒸気で温める方式らしい。
ただ、普通のお風呂なら湯冷めするくらいのぬるい温度でも、体の芯からぽかぽかした。

熱い湯とはまた違った魅力。
のんびりゆっくり浸かるのがとても心地よい温泉だった。


間欠泉も見られたし、この日にあわせて来ることができて本当に良かった。






誤算と軌道修正

実は、「木部谷温泉に入る」と並んで、「津和野でSL(蒸気機関車)を見る」というのがこの旅の大きな目的のひとつだった。

「SLとリリさん」をテーマにした絵を描きたいと思ったからだ。
山口―津和野間で、今も現役でSLが走っているらしい。


なんとなく「夏休みは毎日走ってるだろう」と考えてよく調べずに来たら、「週末・祝日限定運行」だということを駅の観光案内所で知った。
訪れたのは火曜日。


一瞬絶望しそうになったけれど、一旦他の場所を巡って、次の週末(つまり旅の最終日前日)にまた津和野に戻ってくればいいじゃないかという名案にたどりついて一安心。

元々、後半は出雲に戻ってあちこち巡る予定だったけど、もうこうなったら今回は石見をがっつり巡ろうと決めた。




大井谷の棚田。
ここの棚田はとても歴史が古く、600年前(室町時代)から始まっているそうだ。


島根には、日本の棚田100選に選ばれている美しい棚田が七箇所もある。
リリさんは岐阜の坂折棚田を訪れた際「こんなに綺麗に段々になってる棚田ははじめて見たかも!」とびっくりしていたけど、島根にも素敵な棚田がたくさんあることを知ったら、きっと喜ぶはずだ。








ヤマタノオロチの終焉地  ――高津川水源公園




ふつう、一級河川の「水源地」は特定できないらしい。
例外は全国で二箇所だけ。

そのうちのひとつがこの水源公園で、一級河川・高津川は明確にこの泉から始まっている。



源泉は「大蛇ヶ池」と呼ばれていて、かたわらには樹齢千年以上の巨大な杉の木と赤い鳥居、小さなお社。
そこには「ヤマタノオロチ」が祀られているという。





この地域では、出雲でスサノオに討伐されたヤマタノオロチの魂が逃れてきて、ここに鎮まったと伝承されているそうだ。
ヤマタノオロチを「怪物」ではなく、「製鉄一族」として考えるなら、戦で敗れた彼らの生き残りが出雲から逃げ延びてここにたどりついたということかもしれない。


ここや島根の奥出雲はもちろん、滋賀や岐阜の伊吹山周辺にもヤマタノオロチ信仰のある土地があって、どこも豊富な水と縁深い。
ヤマタノオロチは尾から天叢雲剣を生み出したという神話があるが、この剣が天叢雲と名付けられた理由は、オロチの行くところ常に天雲(雨雲)が巻き起こっていたため。

雨水という恵みをもたらす水神なのだ。






この水源公園周辺は湿地帯になっている。
湿地帯というより、小さな湿原と言った方がいいかもしれない。


池から流れ出る水は本当に綺麗で、水路にはびっしりとバイカモの一種、ヒメバイカモの花が咲き誇っていた。



あまりに咲きすぎててちょっとグロテスクなくらいだ。
「ヤマタノオロチ」の生まれ変わりかもしれないと思えばロマンチック?だろうか。
「ヤマタ」どころの数ではないけれど。


ヒメバイカモは、バイカモ以上にレアな植物らしい。
それがこんなに無造作な感じでたくさん見られるのは、なかなか貴重な体験なのだろう。







天然のウォータースライダー  ――長瀬峡



ここは事前情報なし、旅の中でなんとなくルートを組んで通りがかった結果見つけたスポットだ。
「長瀬峡」という場所で、自分は名前も聞いたことがなかった。
ぐうぜん訪れて、水の美しさに感動し、半日ほど居座ってしまった。









個人的には「今回の島根旅で一番綺麗な川」だった。

実はここを訪れた際水を切らしていて、周囲に湧水も見あたらなかったため、この川の水をペットボトルに汲んだ。
普通、川水を汲むと細かな塵や砂粒、ゴミなんかが含まれていて容器の中に沈殿するものだけど、この川の水は少なくとも目に見えるものは何もなく、ひたすら澄んでいた。

もちろん念のため煮沸して利用したけど、自分が島根で見た川水で一番綺麗だったことは確かだ。







ちなみに、川の中の岩が赤茶けているのは、岩の色ではなく「苔」だった。
緑の苔は滑らないけど、赤茶の苔はものすごく滑る。
どれくらい滑るかって、スケートリンク以上だ。
うっかり両足を赤茶の苔の上に載せたら、身動きできなくなって「詰む」。






ここの川は「長瀬峡」の名前通り、全長10キロ以上にわたって勾配の超ゆるやかな「長瀬」になっている。
天然のウォータースライダーとも言われる所以だ。

風雨来記4で紹介された「木地屋渓谷」のナメ沢と似ているかも?




水の綺麗さとは裏腹に魚を一匹も見なかった。
いないのかなと思ったらそういうわけではなく、川遊びしている若い男女がでっかいイワナ?をつかまえていたのでちゃんと生息してはいるようだ。






この川は県境でもある。

川のこちら側は島根県。
川の向こう側は山口県だ。








雨のトラウマ  ――匹見峡




匹見峡。
雰囲気の良い峡谷だったんだけど、なぜかこの日、この周辺だけ局所的に大雨が降っていて、何度も雨宿りすることになった。

ほんの数キロ離れたら嘘みたいにかんかん照りだったので不思議だった。
地形とか周囲の地域との標高差とかが関係しているのかもしれない。

ここのことを思い出すとちょっとしたトラウマというか、雨に追われて焦る気持ちばかりが思い出される。







そんな中でも、ちょっと面白い体験をしたので書き留めておこう。





表匹見峡を走っていると、「表匹見峡の甌穴」と書かれた看板が目に停まった。
甌穴というのは、風雨来記4の飛水峡で紹介されていたような、岩に空いた穴のことだ。

岩のちょっとしたくぼみに小石が入りこみ、川の流れでぐるぐるぐるぐる回転して削り続けることで長い歳月を経て丸く深い穴になる。


昔の人はそんな原理を知らなかったから、その不思議な穴を見て竜宮城の入り口とか龍の巣とか、色々な想像をしたようだ。





看板の説明によれば「甌穴はこの岩の裏側にあります」ということだが、それらしいものは見えない。
Googleマップの口コミを調べてみても「無い」「見えない」「見つからない」のオンパレード。


昔はあって、今はふさがってしまったパターンなのだろうか。
それとも……


少し考えてから、もしかしてと思って川辺に降りてみることにした。






……無いかぁ。
下に下りれば見つかるかなと思ったんだけど。

いや待て。
「岩の裏側にある」という言葉をそのままに受け取るなら、ここからも死角になっている岩陰がある。


ここまで来たら行ってやれ。
表匹見峡は近くをバイパストンネルが通っているため、峡谷沿いのこの道を通る人は少ない。

ひとけがないのをいいことに服を脱いで、川を泳いで、大岩の裏側にたどりつくと。









あった!
これは見事な甌穴だ。
まるで龍の住処のよう。

道路からは見えない、大岩の裏側のくぼみに、確かにそれはあった。



しかし、これを道路添いの看板で案内するのは親切なんだか意地悪なんだか……
一体何人があの看板の説明でここまでたどりつけるんだろうか。





深すぎて底が見通せない。本当にどこかへ通じていそうだ



発見できた達成感をかみしめながら、濡れた体が乾くのを川辺で待っていると、急に大粒の雨が降り注ぎ始めた。


やばい。
何となく降りてきてしまったから、バイクに防水カバーかけてない。

濡れたまま服を着て靴を履き、あわててその場を後にしたのだった。






島根最初の旅人あるいは住人  ――新槇原遺跡



一見なんの変哲もない空き地にぽつんと立った看板。
新槇原遺跡、とある。


匹見町は標高300メートル超の山間部で、縄文時代の遺跡がとても多い土地なのだが、この遺跡からは縄文時代よりさらにはるか前――島根県でもっとも古い、2万3千年前の人間の生活痕跡が発見されている。

旧石器時代、日本列島が大陸と陸続きだった時代に、マンモスやゾウ、オオツノジカなどの大型動物を追って旅してきたひとたちの足跡だ。


旅の通過点か。あるいは終着点か。

彼らはどこから、何を思ってこの地にやってきたんだろうか。
ここに定住……根を下ろしたんだろうか。
あるいは、ここは一時的な滞在地で、さらなる旅を続けていったんだろうか。



何もない場所だからこそ、自然とそういう想像がよぎっては消えていった。







柴犬の祖にして狼の末  ――柴犬の聖地・石号記念館




「柴犬」は現在では日本を代表する犬種のひとつ。
だけど、その歴史は意外と新しく、今から百年ほど前、「石号」という名前の石見犬(石州犬)から始まっている。


元々は益田市美都町の山間部で熊や猪と対峙していた猟犬だったそうで、五歳になったときに、海外から入ってくる洋犬に対抗するための「純日本犬」として申し分ないと東京へ引き取られ、繁殖犬として活躍するようになったらしい。

そうやって生まれたのが柴犬という犬種。
島根県は「柴犬発祥の地」なのだ。







石号の生家は未だに残されていて、そのそばに記念館が設置されていた。
記念館は無人だが、自動音声案内も供えられており、たくさんのパネルで石号の来歴や情報について紹介してくれる。


実は、この石号の存在(柴犬の祖先が石見出身であること)が判明したのはここ数年のことらしい。
まだ観光スポットとしては新しいものの、SNSを中心に「すべての柴犬の聖地」として話題となっているようだ。

道中にはたくさんの「柴犬の聖地」旗がたっていた。






石号記念館へ実際に訪れると、元々山間部の美都の集落からさらに離れたえらい山奥なのでびっくりする。
同時に合点も行く。


柴犬は、DNAがオオカミに最も近い犬だということが研究で判明している。


江戸時代までは日本の山にはニホンオオカミが生息していて、里のイヌと交雑することもあったと言うから、柴犬の祖である石号にも、かつて島根にいたニホンオオカミの血が少なからず含まれていたのだろう。



石号は、柴犬の祖であると同時に、今は失われたニホンオオカミの忘れ形見でもあった……と言えるのかもしれない。







港とお盆と観光価格  ――浜田港公設市場




浜田の公設市場を訪れた。

リリさんが大好きなカニさん。
北海道にカニ食べにいくのもいいけど、地元で気軽に新鮮なカニを楽しむのもいい。

季節になったらお腹いっぱい食べて欲しい。














はまだお魚市場(浜田港公設市場)2階にて。

ノドグロ入り海鮮丼。3000円。


美味しいは美味しいけど、内容はノドグロ(3きれ)以外はイカやハマチと言った定番ネタで、特別な感動はなかった。
値段が高すぎてちょっと損したかな、という気分が正直ある。
公設市場まで来て、求めてたのは微妙にこれじゃない感というか。


でも、雰囲気も含めて味わうというのも悪くはないとも思う。
ご飯もおかわり自由だし。
「ちょっとした残念感」もまた、旅の醍醐味かもしれない。







それに、訪れた日も悪かったのだ。

ちょうどお盆のまっただ中で、漁師さんはお盆は漁を休むのが当たり前。
そのため、この前後数日は水揚げ自体がなかったらしい。
仲買いコーナー(魚売り場)もほとんどしまっていた。

だから、お店側が良いネタを用意しようと思っても限界があったんだと思う。




また、機会をあらためて訪れよう。

ここを平日に訪れると、1階の仲買棟で水揚げしたての新鮮な魚介を2階で調理してくれるサービスもあるのだそうだ。
なのでできれば次回は平日に。








まるで海上要塞!  ――巨大波止群




公設市場の前に大きく手綺麗な橋があったのでなんとなく渡ってみたところ、前方にやたら長い「壁」のような建築物が目に入ってきて圧倒された。

――なんだこれは。







迷路のような、砦のような、謎の建築物。
好奇心のままに散策してみて、だんだんとその正体がつかめてきた。






これは、巨大な防波堤だ。
稚内の「防波ドーム」と同じような性質のものだと思う。
日本海の荒波を受け止め、港湾内の船を守るための防壁。


妙にデザイン性があって、構造物として魅力的にうつるのは意図的なものだろうか。
調べてみたが、こんな大がかりな建造物にもかかわらず、特に名前はなく、単に「波止はと」と呼ばれているそうだ。



海上を見ると、そこにも同じ様な建造物が数基浮かんでいる。




まさに海上要塞という外観だ。
大きなものだと全長1キロ近い海上堤もある。
インパクト絶大。


なにやら色々施設のようなものが見えるのは、元々それを使って養殖したり、海底トンネルでこちら側とつなげる計画などがあった名残だそうだ。
現在は主に港を穏やかに保つための「防波」と、釣り人の「聖地」としての役割を担っている。

だいたい三千円くらい~で、渡し船が出ており、釣り人に大人気らしい。
自分が写真を撮っている間にも繰り返し、海上波止と港とを往来していた。






こういうスポットは、ドラマや映画の舞台になったり、SNSで「島根の○○」みたいな形で誰かがうまいネーミングをつけて紹介すれば、有名観光スポットに化けそうなポテンシャルを感じるけど(実際、自分の滞在中も、なんとなく通りがかってすごさに圧倒されている人は何人もいた)、それは現在の利用者――漁業関係者や釣り人からすれば望むところではないのかもしれない。

ただ本当にインパクトのある目で見て歩いて楽しいので、個人的には島根を旅する際には是非立ち寄ってみてほしいオススメのスポットだ。







島根のスカイツリー  ――大麻山展望台

週末に津和野でSLを見るために石見をのんびりうろうろする中で、地図を見ていたらなんだか良さそうなスポットを見つけて立ち寄ってみた。
大麻山と言う山で、海のすぐそばにあるにもかかわらず標高約600メートルの独立峰だ。

山頂に展望台があって、眺めが最高らしい。













神社で参拝をすませて、早速展望台にあがると……








先ほど自分が走ってきた高速道路がすぐ眼下に見える。
そこから東へ視線をたどると、これまた少し前まで自分が歩いていた、あの要塞のような波止までが見渡せた。

左上。遠くから見ても巨大な要塞のような波止



ところで、この展望台を訪れると景色より先にまず目に入ってくるものがある。
それは……




大量の電波塔。
あなたはこれを見て、どういう感想を抱くだろうか?











この山は、古くから「神の山」だったそうだ。

現在は「大麻山」と呼ばれ、山頂付近に「大麻山神社」と言う神社がある。
この神社は889年(平安時代)に徳島由来の豪族・忌部氏の縁で、徳島の大麻山から神様を勧請して建てられたもの。
それより以前なんと呼ばれていたか、どんな神が祀られていたのかは記録が残っていないために分からない。


周囲からひときわ高く海からも目印となる山ということもあり、山頂、山腹、山麓、いたるところに巨岩が転がる巨石の山でもある。
記録がないだけで、それ以前もっと古くから信仰されていたことはきっと間違いないだろう。


山麓には巨岩がたくさん並ぶ「庭」と呼ばれる地帯も



大麻山神社の境内には、枯山水の日本庭園が設けられている。
元々庭師だった神主さんが、ここにあった自然の巨岩や巨石を利用してこしらえた庭園だそうだ。






「ストーンサークル」というと、イギリスのストーンヘンジのような大仰なものを思い浮かべてしまうが、石への祭祀は人類共通の原始的な信仰だ。
大きな石がただいくつか並んでいるだけでも、想像力や直感力を働かせそこに規則性、奇跡性を見出して神を感じるのがヒトという生き物。

ここの庭園は、そんな古くからの巨石信仰の痕跡と、日本文化の粋である枯山水が融合した、とても珍しく素晴らしいものだと思う。





そんな神主さんから、興味深い話を聞いた。




山頂にたくさんの電波塔が建っていることを、批判されることがあるそうだ。
せっかくの自然豊かな美しい山、神の山に、このような現代的な設備があるのは景観的にも邪魔で無粋だし、不遜だというように。


ここのアンテナ設備は立派すぎて、それも含めて景観として成立しているようにも思う。
けれど人によって山への思い入れは様々だろう。

もしたとえば、富士山の山頂に遠くから見ても分かる巨大なアンテナが建てられる計画が立ち上がったとしたら、ものすごい反対が巻き起こることは想像に難くない。




こうした問題について、神主さんには持論があるそうだ。


日本の信仰は、自然のあるがままを畏れ、敬い、崇拝する、アニミズムの要素を色濃く持っている。
これは、太陽を「お日様」、水を「お水」、食べ物を「ご飯」と呼ぶところにもあらわれているように、現代においても日本人の生活に深く根付いているもの。
宗教と言うより、文化といったほうが近いだろう。


山もそう。
かつては「お山」と呼ばれていた。
今もそう呼ぶ人はいないわけではないが随分少なくなっただろう。


お山は、遠い昔からヒトに水や食べ物、資源、住む場所など「直接的な恵み」をもたらす神そのものだった。
だが時代が変わっていくにつれ、神そのものから神の住む場所へと認識も移り変わる。
やがて、「神社(=神様の住居)」が里に作られるようになると、ヒトと山との精神的距離はどんどん開いていった。



それでも、人々が絆を忘れても、今なお相変わらず、山は人々の暮らしとつながっている。

最たるものが水だ。

我々が利用する水道水も、元々は山から流れ出してきた山の恵み。
ミネラルウォーターだって、企業が山麓でペットボトルに詰めたものを販売している。

米を育てるのに必要な豊富な水や土壌も、山あってこそ。

海の魚が美味しいのも、豊かな山々から川を通じて豊富な栄養が海へと送られ続けるからで、海の豊かさと山の豊かさは直結するものだ。


意識されないだけで、山は今も人々の身近なところにある。



そして、現代においてそうした「山からの恵み」の象徴とも言えるものが、この「電波塔」だというのが神主さんの持論という。







日本一高い建造物、東京スカイツリーは電波塔だ。

主にテレビやラジオの地上波を、東京の200メートル級都市群に遮られることなく放射できるように、634メートルという高さに設計されている。
地上波はさえぎるものがあってはうまく届かないからだ。


標高599メートルの大麻山山頂に設置されている電波塔群は、そんなスカイツリーとほぼ同じ高さを持つ。
基本的な役割も同じだ。

この、ひときわ高い場所から電波を広く島根中に届けること。



「水」や「土壌」、「食物」「目印」などの恵みと同じく、この山の「高さ」が「地上波(安定した情報)」という恵みを与えてくれている。
それは形は変わっても、古代から続いてきた「人と山の関わり」の延長線上にあるものなんじゃないだろうか。



山に意志はない。
いや、もしかしたらあるかもしれないが、それは人の尺度で測り知れるものではないだろう。

本来、山の恵みはただそこにあって、感謝したり、畏怖したり、何かを解釈して意味を見出したりは、いつもヒトが勝手にやっていることなのだ。
手探りで、時に迷ったり、間違えたりしながら。










そんなことを考えながらあらためて山上を見ると、巨大なアンテナ群がポジティブなものに見えてくる。


古代の人々が並べた巨石。
五重塔。
神殿。
大鳥居。
金属の鉄塔。


ふとそれらが、根は同じ物のようにも思えた。
















山の麓には見事な棚田が広がっている。
日本棚田百選のひとつ、室谷の棚田。
これもまた、山の恵みだ。











海と駅と少女の幻影  ――折居駅東踏切




大麻山神社の神主さんにすすめられて、山の麓にある「折居駅」の踏切へとやってきた。
ここは、ボーカロイドファンから「聖地」として有名な場所なのだそうだ。





数年前、この踏切が「少女レイ」という楽曲のイラスト背景のモデルではないかとSNSで話題になったらしい。
夏の陽炎のように、軽快なようで切なくもどこか妖しいメロディとボーカルに、陰鬱な歌詞が相まって印象的な楽曲だ。







線路と海の距離がめちゃくちゃ近い。
目の前は即、海だった。


せっかくなので、折居駅にも立ち寄ってみる。








急ぐこともなかったので、夕日がしずむまでこの近辺でのんびり過ごした。












キミの故郷と、島根の果て。  ――十種ヶ峰




島根西部を走っていたとき、なんとなく「リリさんの故郷っぽい(と自分が勝手に感じる)」風景を見つけてバイクを停めて眺めていた。

山と田んぼと川。
どこにでもありそうだけど、特徴的でもある。
とくに、真ん中にずどーんと盛り上がっている山が印象的で、バイクを停めて写真を撮った。









ふと背後の山の名が気になって、近くにあった民家の人に声をかけてみた。
「須郷田山」という山だそうだ。
登山できるのかな、と何の気なしに聞いてみると、地元の認識では「小学校の裏山」で、登る人はいないという。登ってもおそらく展望はゼロなんじゃないか、と。クマもいるし。


その流れで、この近辺で一番眺望が良いのは「十種ヶ峰(とくさがみね)」というところだとオススメされた。
とにかくものすごい眺めだそうだ。



調べてみると「十種ヶ峰」は津和野のすぐ近くだったので、週末、SLを見るための津和野再訪にあわせて、登ってみようと決めた。











そして当日。



午前二時に起きてバイクを走らせ、午前四時頃に山麓駐車場へ到着。
登山を開始した。

事前に聞いていた通り、山麓駐車場から30分ほどで山頂へ辿り着いた。
熊除けの鈴を鳴らしながら行ったのが効果あったのかなかったのかクマには出会わなかったが、カモシカの子供と至近距離で遭遇してお互いちょっとびっくり。






360度の絶景。
この風景に余計な言葉は要らないだろう。




ああ、朝焼けを背に満面の笑顔のリリさんが思い浮かぶ。


この場所を知ることができたのは、完全にリリさんのおかげだ。
今回島根に来るまで、つい数日前まで存在すら知りもしなかった場所。

リリさんを追いかけ続けたから、偶然が重なって、今自分はここに立って、この風景を見ている。


こうして、自分はまた、リリさんに惚れてしまう。
島根に来てよかった。







なお、十種ヶ峰(とくさがみね)という山名は、十種神宝(とくさのかんだから)が由来。

十種神宝は、日本神話において三種の神器と並ぶ宝物だが、御食主命という神がそれをここに埋めたという伝承があるそうだ。
周辺地域は「徳佐(とくさ)」と言うが、これは「十種(とくさ)」から表記が変化したものだろう。








まるで映画のワンシーン  ――旧堀氏庭園


石見といえば銀山があまりに有名だが、津和野周辺は「銅山」が非常に有名だったようだ。
銅の産出によって冨を得た地元有力者・堀氏の屋敷や日本庭園、病院などが、現在は観光地として公開されている。

山の中に唐突にあらわれる時代劇のセットのようなお屋敷と庭園。
興味をひかれてなんとなく立ち寄ってみたのだが。

これがまた、予想をはるかにうわまわってすばらしかった。






部屋のかたわらには、「時間の許す限りゆっくりとおくつろぎ下さい」と書いてあった。





ここにあるのはだいたい、明治時代の建物らしい。
タイムスリップしたような、絵になる風景の連続。


ついつい、そこにいるリリさんを想像して写真を撮ってしまう。
これもいつか絵にしよう。






ちなみに……

日本最古の石は、つい数年前まで岐阜県七宗町で発見された20億年前の石だった。
飛水峡のあたりで発見されたものだ。

それを最近塗り替えたのが、この旧堀氏邸から3キロ離れた山中で発見された石。
これはなんと25億年前に出来たもの。


津和野は銅だけでなく、日本最古の石の産出地でもあるのだ。




宝石のように希少なものではないようで(地脈になっているから?)、津和野のいくつかの博物館・資料館などで目にすることができた。

見た目ふつうの石。
持つとけっこう重いかな?という印象。






余談だが、実はこれを見越してこの二週間前に、岐阜の七宗で旧・日本最古の石も確認していたのだった。

岐阜県七宗
岐阜県七宗











リリさんと蒸気機関車  ――津和野

さて、念願のSLだ。
帰ってから「リリさんと蒸気機関車」の絵を描くために、しっかり見聞を深めておこう。



津和野のSL(蒸気機関車)は、「やまぐち号」と言う。
山口駅-津和野を往復する観光列車だ。

運航日は夏から秋の土日祝、一日一往復。



普通の電車が走る線路を、同じように走る。
郊外を走るSLも絵になるが、ごく普通の日常風景の中をSLが走る様もすごくインパクトがあって良いものだった。





実際にSLを目の当たりにして特に印象的だったこととして、


・汽笛の音がめちゃくちゃ大きい。数キロ離れていても聞こえる。
・煙は出ないときもある(駅に入るとき=減速の際?)けど、加速のときは量が凄まじい。
・電車並みに速いときもあれば、カーブが多いところ?はびっくりするくらいゆっくり走っていた。
・機関車自体もカッコイイが、後ろに連なる客車があってこそ良い味が出てる


というようなことを覚えている。
ともかくやっぱり実際に目の当たりにする蒸気機関車は迫力が違う。
特有の重量感というか、電気を借りてではなくそれ自身から生み出される力強さというか。

ある種の神々しさのようなものさえ感じてしまった。



一方で、現実的には蒸気機関車が朝から夜まで日常の中を走っていたら、騒音・公害問題であっという間にクレームの山になりそうだ。
だからこそ限定運行に「ロマン」があるとも言える。


列車には、たくさんの人が乗り込んでいた。
家族連れが多いようだ。
子供達が嬉しそうにはしゃいでいるのを見て、そう言えば夏休みだったことを思い出す。


夏休みに、SLの旅。
最高の思い出だな。








爆煙!
まるで生き物のように立ち上る。

煙と言うより、黒い雲。
「黒出雲」なんて言葉が思い浮かんだ。







鉄道写真家たちは、特に「絵になる」ポイントに一極集中していた。


カーブで列車全体がよく見えるとか、一時的に速度を落とすためにシャッターチャンスが多く、加速のために黒煙が上がりやすいとか、周りに余計な遮蔽物がないとか、「優れた鉄道写真」を撮るために条件があるのだろう。

で、そういうところではちゃんと町側から「鉄道撮影者用」として駐車場や撮影スペースが設けられたりしていた。



とはいえ、「絵になる」もいろいろだ。
自分の様に「鉄道写真としての汽車」ではなく、もっと日常的というか、「生活感」や「旅」を感じる写真を撮りたい場合は、他にもよりいい感じのスポットがあるはずだ。

また機会があれば、そんなところを探してみたい。

(もちろん、住民の方にとっては線路の沿線は生活の場なので、ご迷惑にならない程度に)










蒸気機関車を背景に自然な感じでリリさんの絵を……と思ってたけど、写真を撮っていて気づいた。
それだとリリさん絶対、後ろの機関車の方向くから背中しか描けないじゃないか。











黄昏のネックレス  ――石見畳ヶ浦

今回の旅では、同じスポットに何度か繰り返し訪れることがあった。
石見畳ヶ浦もそのひとつだ。


一度目は昼日中。





ここは化石の宝庫で、無数の貝の化石がそこら中の砂岩に露出している。
中にはハートマークに見える貝殻の化石「ハッピーシェル」があり、これを見つけるとハッピーになれると言うウワサがあるらしい。


自分はこのハッピーシェルを探すために数十分、炎天下の中さまよった。
見つけるとハッピーになれるということは、見つけられなかったら不幸ということじゃないか。
「幸福の手紙と言う名の不幸の手紙」と同じ理屈だろそれ。


なんて段々思考が闇落ちしそうになったものの、最終的に見つけられたからとりあえずハッピーな気分にはなれたのだった。










二回目の探訪は、日暮れ直前。





ここは、「島根のウユニ塩湖」と呼ばれることもあり、条件次第で水面が鏡になると聞いていたが、この日はちょうど干潮の時刻で水が引ききっており、鏡と言うには凸凹した地面が目立つ風景だった。


とはいえ美しい光景には違いない。
誰もいない中自分一人、夢中で写真を撮って過ごした。

水平線上、色とりどりの漁り火が、まるでネックレスだ。




青と橙に暮れなずむ世界を背にするリリさんを想像しながらシャッターを切った。













「後編」につづく



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