「千年氷茶」 風雨来記4を追いかけて / 2024岐阜の旅・夏その9

2024岐阜の旅

不思議な茶畑

写真中央 不思議なかたちの茶畑




天望台から茶畑を見ていて、気になる物をみつけた。
ところどころ、不規則な形の畑がある。

周囲の整然とした茶畑とは明らかに異なる植え方だ。
曲線だらけの、不思議な模様になっている。



あれも、お茶畑なんだろうか。
どうして植え方に違いがあるんだろう。







その答えは、下まで降りてきて「天空のかき氷」というのぼりを出しているカフェに立ち寄ったときに判明した。




不規則なかたちの畑は、「在来茶」の畑らしい。


在来茶は、「品種改良されていない古来からのお茶」のこと。
鎌倉時代から江戸時代にかけて、地域ごとにお茶栽培が始まったタイミングは違うが、「その土地に伝わった頃から現代まで連綿と受け継がれてきた品種」を指す。


だから、「在来茶」と一口に言っても産地ごとにすべて違う品種で、ここで栽培されているのは「上ヶ流だけの在来茶」ということになる。


元々は日本各地にその土地ごとの固有の品種があるのが普通だった。

が、明治時代に品種改良茶(優秀な茶の木を選抜して掛け合わせることを繰り返して生み出した品種)が生み出され、昭和以降はそちらが主流になり、現在全国のお茶生産量の割合では品種改良茶96%、在来茶4%ほどになっているそうだ。






品種改良茶は、全国から集められた選りすぐりの茶を掛け合わせてさらに選別されたいわば「エリート」で、たとえば全国の茶の生産量の七割以上を占める「やぶきた」という品種では、「根が浅く根付きやすい」「成長が早い」「味、コクが高品質」「寒さに強い」「幅広い地域で栽培可能」「収穫時期が早い」など優れた特徴を多く持つ。

「やぶきた」という名前は品種改良の最中、「竹やぶを切り開いて開墾した土地の側の茶畑」で発見されたため付けられたもの。
「やぶみなみ」という品種もあるが、そちらはあまりメジャーになれなかったそうだ。










一方、上ヶ流の在来茶は、「根が太く深く長い」特徴を持つ。
地中から大量の栄養を吸い上げるためたくましく、病気にも強い。

この地域は世界的に見ても有数の豪雪地帯(積雪量世界一でギネスに登録されている)なので、700年かけて過酷な環境に適応したわけだ。

そうした性質から、整然とした栽培には向かず、モザイクのような面白い形の茶畑になるのだろう。




天空の茶畑入り口では、在来茶ややぶきた茶、ほうじ茶などが販売されている。500円。驚く程安い。













風雨来記4を最初にプレイした頃は特にお茶に興味がなかったのでスルーしてしまっていたけど、今改めて見返してみると、作中でも「白川茶畑」というスポットで在来茶が登場していた。

白川茶と揖斐茶(上ヶ流も含む)は、あわせて美濃茶と呼ばれ、室町時代から文献記録がある特産品だった。









日本のお茶の歴史は、1191年に栄西という僧が中国から茶と、茶の製法を修得して帰国し、「喫茶養生記」という書物を書いたことが始まりとされる。
この栄西から譲られた茶の種を植えたのが京都宇治茶の始まりで、白川茶はその宇治から持ち帰った苗……ということは、「日本茶原種」直系の在来種ということになるのかもしれない。








緑茶は、今でこそ「日本人の心」のような存在だが、一般人が広くお茶に親しむようになったのは江戸時代から。


鎌倉時代に茶の栽培が開始、室町時代にかけて貴族を中心に少しずつ人気になっていったが、最大のブレークスルーは織田信長の登場だろう。


信長は幼い頃から茶の湯に親しんできたと伝わる。
だが、単純に自分が好きだからお茶文化を広めようとしたというわけではない。


戦国時代、信長は天下統一を目指す中で、当初は戦果を上げた武将に「敵から奪った領地」を授けていた。
だが、勢力が拡大すると、渡す領土が足りなくなってしまう。


敵より味方の方が多くなれば一人当たりの報酬は減る。
当然の原理だ。


そこで領土や武器に変わる「新しい価値」を考案した。
これが茶の湯・御政道――いわゆる「お茶文化」だ。


信長自身が茶道具を各地から高値で買い集め、それを武将に褒美として配る。
「茶会」も許可制にして、武勲を上げた武将だけに権利を認めた。

茶会に参加できる=最高の栄誉 というブランドを作ったわけだ。



そんな風に徹底することで、「茶の世界」は「価値あるもの」、ひいては「冨や権力の象徴」となった。
まさに茶文化のプロデュース。


信長の後を引き継いだ秀吉の方針でさらに茶の文化は広がり、やがて江戸時代以降一気に大衆文化として「お茶を飲む」という習慣が全国に広がっていったのだそうだ。














真夏の雪

せっかく訪れたので、在来茶を味わってみよう。
ということでカフェに立ち寄り、「在来茶を使ったかき氷」を注文してみた。



在来茶を使ったかき氷とグリーンティ。






これがいたく感動した。
氷とも雪とも違う、まるで霧が凍ったような細かな粒に、濃厚だけどまろやかで後味のさわやかなお茶シロップがかかっている。
甘いのに甘すぎない。

一口ごとにお茶の風味がたっぷりと口の中に広がり、氷と一緒に瞬時にとろけていく。



氷そのものの口当たりもすごくて、「ふわふわかき氷」という表現はよく聞くが、ここまでふわふわなものははじめてだった。
見た目はそこまで細かくないのに、口に入れると雪よりも軽やかにとけてしまう。


かき氷で連想する「ガリガリ感」がまるでない。
ガリガリのかき氷ももちろん美味しいけれど、それとはまた別のジャンルの食べ物という感じ。

ふわっふわ。

これが緑茶のシロップと相性バツグンで、あっというまにたいらげてしまった。



天望台の往復でのどが乾ききっていたこともあるけれど、ここまで美味しいかき氷は生まれて初めてだった。
これを食べるためだけにまた来たいとさえ思ったほどだ。














なんでこんなにふわふわな氷が存在するのか。
帰ってから色々調べてみると、これがまた非常に興味深かった。





まず、ふわふわかき氷は「氷」自体が違うのだそうだ。
ふわふわかき氷を作るにはとにかく氷にこだわる必要がある

普通の氷ではどれだけ薄く削っても、そこまでふわふわにはならないという。




氷と一口に言っても、元の水のミネラル成分や硬度など重要な項目は多岐に渡るが、かき氷用の製氷において最も重要なのは「凍結方法」


氷には、急速に凍らせた場合は水の結晶が小さくゆっくり時間をかけて凍らせた場合は水の結晶が大きくなるという性質がある。

水の結晶が小さいと、削るときに周囲がバリバリ割れていくため、ガリガリしたいわゆる「氷」になる。
急速に冷凍した場合は中に空気の泡も多く残るため余計に割れやすく、口当たりも悪くなる。

かき氷を食べると頭がキーンとなることがあるが、あの現象も起こりやすい。


一方で水の結晶が大きいと、より薄く細かくなめらかに削ることができる。








「かき氷専門店」のかき氷がふわふわする秘密は、「天然氷」にあるという。

水の結晶の大きい氷をつくるためにはゆっくりと時間をかけて冷やす必要がある。
そう聞いて、そういう用途専用の冷凍庫があるのかなと思ったら、答えは「自然」。


長野や山梨などの寒冷地で-5℃くらいの冬期間に、天然水を製氷用の池に流し込み、二週間から三週間ほどかけて製造している。
これを氷室で保管し、かき氷専門店へと出荷するわけだ。


大正時代には全国で七百箇所以上の「天然氷の蔵元」があったそうだが、今では五箇所ほどだそうだ。
いくつかの蔵元では、かき氷店も経営しており最高の状態で天然氷かき氷を食することができるとか。

一度訪れてみたい。






暑い夏にかき氷を食べる文化はお茶よりも古く、少なくとも平安時代以前から存在しており、様々な文献に登場する。
清少納言が「枕草子」に記した食レポが有名だ。

「あてなるもの、…(略)…削り氷にあまずら入れて、あたらしきかなまりにいれたる。」

(枕草子 第四十二段)




上品なもの。 削り氷に甘葛を入れて、新しい金属の椀に入れたもの。



甘葛あまずら…古代日本の代表的甘味料。
全国から朝廷に集められたこと、唐への献上品として輸出されたことなど記録には多く残るが室町時代には製造されなくなり、江戸時代にはすでにその正体が不明となっていた。
その正体はツルやツタ、ノブドウなどの樹液を精製したものと言われる。





昔は冬にできた氷や雪を「氷室」と呼ばれる室や洞窟に保管し、夏に食べるという上流文化があった。
現代でも「氷室」という地名が各地に残っているのは、かつてそこに氷室があった名残だ。



それから千年。
令和の時代に、平安時代の氷室の頃から変わらないアナログな方法が美味しい氷を食べるための最適解。

これはとても面白いことに感じる。



多くの分野では、「最高」は常に更新されていくもの。

現状に満足せず、より先をより上を求めてしまうのが人間の基本的性質で、だからこそ文明が発展してきたわけだが、たまにこうして「古代から最適解が変わらない」ものと出会うことがある。

そういうものを発見し、実感することは、大げさかもしれないが自分にとって人生の財産だと思う。





今回、上ヶ流で自分が感動したかき氷。
それはきっと、1000年前の清少納言の感動と通じるものがあっただろう。




「おいしーっ!」










薬草の園





ところで、上ヶ流のお茶に関しては、伊吹山との関係も切っては切り離せない。

お茶という植物と人の関わりは、茶の木が古代中国において「薬草」として利用されていたのが発祥で、現在でも薬学の分野では、頭や視界の明晰効果・頭痛や多眠防止、うがい薬、湿布などの効能を持つれっきとした「薬草」として扱われる。

そして、伊吹山は古代から「薬草の山」として古代から有名な土地だった。



滋賀県側から見た伊吹山 2021年の旅にて





伊吹山周辺は、夏はいかにも「日本の夏」と言った気候にも関わらず、冬はものすごい豪雪地帯。
近年は温暖化の影響かそこまででもないそうだが、かつては世界の観測史上最大の積雪量を記録したのが伊吹エリアだ。なんと11メートル82センチ。
この記録はいまだに破られていない。



そうした特殊な気候のためか、イブキヨモギやイブキトリカブト、イブキアザミのように、イブキの名を冠したこの土地に特化して進化した植物がとても多く、必然的に特殊な薬草や毒草の数も多いわけだ。


日本神話で、ヤマトタケルが伊吹の神を討伐しにやってきて返り討ちにあい、ここで負った傷が原因で病に倒れる描写がある。
これを、この土地に住む豪族との争いの中で、毒による攻撃を受けたエピソードだと解釈する研究者もいる。
薬草と毒は表裏一体なのだ。



さらに戦国時代には、織田信長がポルトガルの宣教師から伝来した様々な薬草知識を活かすために伊吹山麓に「薬草園」を設置していた記録がある。

病を治す薬としてだけではない。
「火薬」という言葉の文字通りに、当時は火薬を薬草(ヨモギなど)から作っていたため、その原料確保・研究のための薬草園でもあったそうだが、もしかしたら、この薬草園には「お茶畑」も含まれていたのかもしれない。











今回、これまで意識してこなかった「お茶」に興味をもつことができた。
今後の旅では積極的に各地の「お茶スポット」にも訪れてみることにしよう。







追記
この夏の島根旅にはこの在来茶を持っていった。
朝起きた時や夜、食事のあとに熱いお茶を飲んでほっと一息。

普段飲む緑茶より、やわらかい感じがした。

そんな旅の中で、島根独自のお茶との出会いもあったのだが、それはまた別の話だ。

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