なんでこれをやるのか
・「自分が表現したいもの=見たいもの」を見失わないため
・1時間という制限の中で、集中して「穴が空くように見る」練習
・今後旅先で描くことが増えるので短い時間で描くための予行訓練
・一枚ごとに、普段なんとなく選ばない表現やテーマにあえて挑戦してみる
・「背景のデフォルメ表現」について考えてみたい
ワンドロとは、ワンアワー・ドローイングの略で、一時間という制限の中でイラストを描くという遊び(競技?)。
元々「ドローイング」は、「ラインドローイング(線画)」という意味で、30秒とか2分とかの短い時間で物の動きや形をとらえて線に落とし込む練習法なのだけど、「ワンドロ」は絵がうまくなるための練習ではなく、アウトプットを早くする(絵を早く・効率的に描けるようになる)ための訓練の意味合いが強い。
練習と作品の間……「習作」的な側面があるため、線だけじゃなくて、着色まで行う。
面白いことに、30時間かけた絵よりも、1時間に凝縮して描いた絵の方が直接的に心に刺さる、ということが少なからずある。
絵は芸術としての側面以外に、描き手のメッセージを伝えるコミュニケーションという側面もあるので、そういうことが起こるのだと思う。
背景絵について言えば、1時間で細かいところまで全部描くのは難しいので、見せたいところを細かく、それ以外の場所はおおざっぱに(ただしそうは見えないように)描くというのが基本になる。
結果的にそうした表現というのは、「人間の目の見え方」に近いらしい。
人間の目が一度にはっきりとピントを合わせられる範囲は、「伸ばした腕の指先」くらい。
目が細かく動く上に脳の処理が優秀なので、普段はそういう風には感じないけれど、一点を注視すると(たとえばこの文章の一部を注視すると)、周りはぼやけてすぐ隣の単語も判読できない。
たとえば綺麗な風景を見ているときも、細部を逐一観察するのではなく、視界全体でぼんやりと雰囲気を感じる、というのが人間の基本的な景色の見方なのだ。
時間制限を設けた背景絵の場合は、情報の取捨選択によって、そういう「人の実際の見え方」の再現に近くなるんじゃないかと思う。
細かく細部まで描き込んだ絵や写真とはまた違った方向性の、「脳の(想像力への)直接的な刺激」になって、心に届きやすいのかな、となんとなく思っている。
自分にとっての絵について考えてみれば、芸術作品でも商業作品でもなく、現状9割以上はリリさんへの想いを書き留めた日記とかラブレターみたいなものだ。
この10ヶ月の経験上、たくさん時間をかけたらそのぶんだけ良い絵になる……というわけでは全然なかった。
(もちろん、時間をかけるべき表現もある)
時間には限りがある。
今の自分は、
これを描きたい→描きたいものが描けた→次はこれを描こう!
ととにかくどんどん先へ進んでいく時期だと思う。
心に浮かんだものを、写真を撮るように自然に絵に写したいし、日々見聞きして感じたそのままを絵として描き残したい。
そういうわけで、ワンドロについては、冒頭で述べた通り、自分なりの課題をもって、しばらく続けていこうと思う。
今年の夏以降は、旅先で写真を撮りながらその場で絵に描いていくようなことをする予定で、そのためにも、自分の感じたこと(見たものを、ではなく)を素直に絵として写し込めるように励みたい。
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