■「風雨来記4:母里ちあり編」について書きます。ストーリーのネタバレ有り。
■「自分はこう考えたよ」という、個人的な感想・考察記録です。
■ 記事内で、ゲーム内のスクリーンショットを、権利元を表記した上で引用しています。
この記事では、ちあり編について、「リリさんと諦観」をテーマに書いていきます。
要約すると
・リリさんのポジティブさは、「あきらめ」と表裏一体
・どうしようもないことへの「前向きなあきらめ」が、彼女の強さにつながっている
・リリさんは、これまでに色んなことをあきらめてきた
・そんなリリさんが岐阜の旅の最後に、「あきらめ」を主人公と分かち合ったこと
なお、今回の記事内では母里ちありさんは「リリさん」、物語については「ちあり編」と表記します。
母里ちありは、いつもポジティブ。
リリさんの印象は、とにかくポジティブ。
ころころと変わる表情、思考の切り替えも早くて、人に言えない悩みを抱えながらも「明日は明日の風が吹く!」と、パァッと笑顔になって、今日を楽しむことができるひと。
彼女は決して最初からそんなふうだったわけではなく、幼い頃は人見知りで兄にしか心を開くことができず、小学校時代に親友の「月子ちゃん」のおかげで、一歩前へ踏み出すことができたと言います。
そうやって勇気を出して、みんなの輪の中に飛び込んで以来、ずっとポジティブにやってきた。
それは間違いなくリリさんの強さであり、魅力です。
ですが、その強さはいつも、ある行為と背中合わせだったのではないでしょうか。
その「ある行為」とは、――――「あきらめること」。
母里ちありは、どうして言い訳をしないのか。
誰かの当たり前は、別の誰かの当たり前じゃない。
リリさんには、他人の顔を見分けることができない、という生まれつきの個性があるため、それが原因で起こる他人とのすれ違いは、彼女の人生の節々で数え切れないほど、その心を傷つけて来ました。
作中ではすでにコンプレックスを克服しているからか、さらっと話していますが、それでも過去の失敗談を語るときのリリさんは、淡々としながらもどこか淋しそうです。
ここで、あらためて考えてみて欲しいのですが、
なぜ、『言い訳をしなかった』のでしょうか?
言い訳って、決して悪いものとは限りません。
誤魔化したい、失敗を有耶無耶にしたい、責任逃れしたい……そういうネガティブな言い訳だけじゃなく、
誤解されたくない、自分を分かって貰いたい、自分の気持ちを伝えたい、嫌われたくない……そんな、他者への理解を求める気持ち、期待があればこその「説明」でもあると思うのです。
にも関わらず。
初めて付き合った人との初めてのデート。
自分の個性が原因で(いや、直接的な原因はクソバカナンパ男だけどな!)トラブルが起きて、それによって関係が台無しになってしまったときに、
中学生のリリさんは、自然消滅する最後の最後まで、言い訳……正当な理由の説明も、あるいは誤魔化しの方便すらも口にしなかったのです。
どこか他人事みたいに。
その姿勢は成人した今もずっと続いていて、会社で人の名前や顔を間違えたときも、あるいは、主人公と他の男性を見間違えてしまったときもそうです。
個性が原因でトラブルになったときに、リリさんは、どうして一度たりとも「言い訳=説明」をしなかったのか。してくれなかったのか。
――その答えは主人公が作中で出しています。
苦い経験を繰り返してきた。
それはきっと間違っていないのでしょう。
そう、「言い訳=説明」は、たくさんしていたのです。
小学校時代に。
それによって、「月子ちゃん」という最高の理解者も得られたけれど、彼女以外は誰も、理解も共感もしてくれなかった。
それどころか……
顔や名前が覚えられない?
それって結局、他人に興味無いってことじゃん。
どうでもいいって思ってるから、覚えられないんでしょ。
――そうなのかな。私は他人に興味がないから、
顔も、名前も、覚えられないのかな。
そういうことなのかな。そうだとしたら……
「言い訳」はいつも、相手も自分も、傷つく結果になるばかりだった。
言っても誰も得しないなら、最初から言わない方がいい。
分かってもらおうと期待するのはやめよう。
分かってもらわずに、うまくやれるように工夫しよう。
そんな経験を重ねてポジティブな彼女が選択した道が、自分の現状を現実的に受け止めて、「理解してもらうことを、すっぱりあきらめる」という、ある種の諦観だったのかもしれません。
母里ちありは、何をあきらめたのか。
中学時代にはすでに、「言い訳しない」のが、当たり前になっていたリリさん。
初めて付き合った相手に理解してもらうことさえも、あきらめてしまう。
それほどに、幼い頃からたくさんたくさん、しんどい思いを重ねてきたリリさんを想像すると、……ちょっと言葉にならないです。
リリさんは、
平穏な学校生活をあきらめて。
東京での暮らしと、ふつうの社会人をあきらめて。
家にとらわれない自由な道を、あきらめて。
お見合いから逃れることを、あきらめて。
わかってもらうことを、あきらめて。
――あきらめて。
――――あきらめて。
あきらめて。
……。
けれど、リリさんのあきらめは、いつも、いつも、前に進むためのものなのです。
あきらめるのは、決して、悪いことではありません。
特に対人関係においては、他者の心あってのものですから本人だけの努力ではどうにもならないことも往々にしてあります。
どうにもならないことに見切りをつけてあきらめることは、むしろ、強い決断力の証とも言えます。
ポジティブなあきらめは、「積極的な選択」と同義です。
何かを得るために何かをあきらめる。
本当に大切なものをあきらめないために、それ以外のものをあきらめる。
人生はそんな選択の繰り返し。
(主人公も、今の仕事をあきらめて恋愛をとるか、恋愛をあきらめて仕事をとるかの選択をしていますね)
勇気を持って、あきらめること。
自ら切り替えて、割り切って、前へ進めば、それによって新しい道が見えてくることもある。
自分をどんどん更新していける。
人生を楽しく生きていくための力。
「今の私が最高の私なのです」
それは達観とか、ポジティブな諦観とでも言いましょうか、
リリさんの、まごう事なき強さです。
あらためて、そんなリリさんはやっぱり、すごく素敵だなぁ、と思います。
もっと知りたい。これに尽きますね。
母里ちありは、何をあきらめなかったのか。
ちあり編のシナリオ構成のとても興味深い点のひとつに、コンプレックスを主人公とは無関係に克服している、という部分があります。
多くの作品では、登場人物がトラウマやコンプレックスを乗り越えることが物語の主軸になったりもするものなのですが、ちありの場合は物語開始どころかとっくの昔、小学生の時にはすでに、親友の力を借りてそこを乗り越えている。
なので、リリさんのコンプレックスを知り、理解の姿勢をみせた主人公が、馬籠での会話でそこに寄り添おうとしたときも、彼女からは淡々とした反応が返ってくるだけでした。
理解しようと思案してくれた行為自体は嬉しかったでしょうし、遠い過去には理解だけを求めていた時期もあったでしょうが、コンプレックスと自分で向き合い、受け入れている「今」の彼女にとっては重要なのはその先の話。
自分の理解者……兄さんも、月子ちゃんも、自分の道を進んで遠くへ行ってしまった。
じゃあ、目の前にいるキミは、、、?
「キミは、どうしたいのかな?」
幼い頃から、自分の個性から生まれる人とのすれ違いをあきらめ続けて来たリリさんの、それでもあきらめきれなかった心の中のいろいろななにか。
それらが、あがくように、リリさんを岐阜に「立ち止まらせ」て、「先延ばし」という行動になってあらわれたもの。
それが、リリさんの岐阜の旅のはじまりだったのではないでしょうか。
そして、そんなリリさんの物語だからこそ、彼女が旅の最後の最後にとった、「あえて別の道を選んでみる」――
――あきらめないという選択と、その結果起きた怒濤の展開に、とんでもなく深い意味を感じ取れると、思うのです。
私は、今、
キミに、仕事を――夢を、あきらめさせようとしてる
「あのね……」
最後に手を伸ばしたもの
岐阜の旅の最後の最後に特大の、何考えてるかわけの分からない行動。
上司との業務連絡の電話に割り込んで、「安産祈願」「実家に挨拶」「私の旦那様」――
モネの池や付知峡の対応を見る限り、リリさん、初対面の相手には結構気を遣ってしまうタイプに見えましたが……
これも、詳しく聞けばいつものように、リリさんならではの意図があるんだろうな、という100%の信頼があります。聞いたらやっぱり「なるほど」とうなずいてしまうのだろうな、と。
主人公(夫)がきっぱりと二人で歩く道を選んでくれたからこそ、リリさん(妻)は二人のその道で、彼の「仕事」が続けられる未来を最後まであきらめないために、手を(スマホに)伸ばしたのかな、と考えていますが……。
本当のところはリリのみぞ知る、ですね。
まとめ
一台のバイクに二人で乗るためには、そのぶん荷物を降ろさなくてはなりません。
最高の場所を、楽しい毎日を手に入れていくために。
「どちらかが」じゃなく、お互いがいろいろなものを少しずつあきらめ合う。
その少しずつあきらめ合った過程も、振り返って「楽しい思い出ばかり」だと笑い合って、前に進んでいける関係。
この旅は、これから先の長い二人旅の、予行練習でもあったのかもしれません。
今回の記事はこのあたりで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
縁があれば、また、別の旅の話で。
コメント
こんにちは、じっくり読ませていただきました。
リリさんが主人公に出会う前にコンプレックスを克服している点、私もシナリオとしてどういう意味なのか気になっていました。
確かに生まれた時からその個性と付き合っていれば、諦観しているというのは納得できますね。
スタート地点や未来というのは、リリさんルートのキーワードかなと感じています。
人生とは何かを諦める代わりに何かを得る、選択の連続というのを改めて考えることができました。
ありがとうございます。
シナリオとしての意味を考えるのも楽しいですね。
お見合い・結婚というテーマを描くために、関係を対等にしたかった、とか色々な理由がありそうです。
自分も今回の記事まとめていて、あきらめると言うことに対してポジティブに捉えられるようになった気がします。
言語化できてよかった。