稲荷と出雲と初午と

旅日記

もちを的にして、弓の練習をしていたら、もちが鳥に変わって飛んで逃げた。
追いかけていくと山の上にたどりつき、そこには一本の稲穂が生えていた。





これが「伏見稲荷大社」発祥の伝説で、二月の最初の午の日(初午)の出来事だったと言われる。
このため、毎年二月の初午の日には大祭が行われている。
(元々は旧暦の行事だったが、現在は新暦の初午の日に行う)


神社のバースデイ、アニバーサリーだ。
今日はそんな伏見稲荷の初午(はつうま)に出掛けてきた。


初午の伏見稲荷


近いこともあって、初午の日には毎年お参りしているけど、日曜日が重なったのは自分が訪れるようになってはじめてのこと。
正月ほどではないとはいえ、さすがにかなりの人出だった。



ライダー情報として、伏見稲荷には正月以外はバイクで訪れることができる。
境内に二輪駐車場があって、かなり余裕をもって停められるスペースがある。
(さすがに日祝日×集団ツーリングとなるとどうかわからないが)


今日も他県からのライダーたちや、タンデムツーリングらしい男女の姿を何人も見かけた。


農業の神様


伏見稲荷創建当時は、全国的な天候不順が続いていて、作物が不足していたらしい。
豊作の願いを込めてこの神社に信仰が集まったのだろう。

今も、毎年初午の日にはJAや市内の青果問屋、種苗会社などから、実りの感謝とともにたくさんの農作物が奉納されている。


中でも「はたけ菜」は地味な名前だが、京都の秦(はた)氏ゆかりの場所(秦氏が建てた伏見稲荷や、本拠地だった太秦地域)で栽培されてきた伝統野菜。
東京における「小松菜」に対する、京都の「はたけ菜」という感じだ。

いわゆる「菜っ葉」系野菜の中では、個人的には「いちばん直球的な旨さ」だと思う。

初午の頃のはたけ菜は、とにかく甘い。
とうもろこしのような甘さと、やわらかいのにほどよい歯ごたえのある、食感が最高だ。


初午の日には、これを軽くゆでて、あぶらあげと一緒にからし和えにしたものを食べる、というのが古くからの伝統。

この伝統の由来は、「稲荷大神のお使いのキツネが、あぶらあげとからしが好きだから」らしい。
「はたけ菜」も、種から上質の菜種油が採れる、アブラナの一種だ。





志るしの杉




昔の伏見稲荷初午大祭の日は、「稲荷山を上まで登って、ご神木の杉の枝を折り採って帰ってくる行事」だったらしい。
それがこの志るしの杉だ。


現代の感覚からすれば「神木の枝を折って大丈夫なのか……?」と心配になってしまうけれど、当時もあまりに人が集まってしまって採る枝がないほど丸裸になってしまったりしたようだ。



今は社務所で1500円を納めることで、合法的に持ち帰ることができる。




ところで、この伏見稲荷の初午参り。
今から1000年ほど前の現地レポートを伝えるブログ……ならぬ随筆が残っている。


普段、宮廷の奥で文化的に過ごしている清少納言が「一念発起して朝早くに稲荷山を登り始めたよ!」という記録だ。
タイトルは「うらやましげなるもの」。

かいつまんで現代語訳すると、

稲荷にお参りしよう!と思い立って、初午の明け方に出発して山頂目指して登り始めたのに、半分にも満たないところでもう十時になった。
自分はこんなに苦しいのに、後ろから平気な顔した人がどんどん追い抜いていく。

暑くなってきたし苦しいし情けない。
もっと別の日にしたらよかった、そもそも自分は何しにお参りに来たんだと涙まで出てきた。

そうして道端で休んでいると、40歳くらいの女が着物のままで「わたし、今日は七往復するよ!もう三往復した!あと四往復くらい余裕だし、昼の二時には家に帰るよ」と道で会った知りあいに話しながら元気に坂を下っていくのを見て、「今すぐあの女になりたい!」と思ってしまった。

自分は貴族の生活に興味はないけれど、こういう「旅」とか「名所巡り」となると古文も面白く感じる。
特にこうした感情を素のまま書きだしたような随筆は素直に、「1000年たっても共感できるってすごいなぁ」と思う。


他に稲荷の初午を題材にしたものだと、「今昔物語集」の「第28巻第一話」がある。


仲間と一緒に、稲荷へ初午参りにやってきた下級役員の既婚男性が、参道にいた顔を隠した女性(実は自分の妻)をナンパする話。

作中の描写から、当時の初午の日は、現在の「お花見」のようなイベントだったようで、お酒やごちそうをもちよって境内のそこら中で宴会していたらしい。
(時期も旧暦なので、三月中旬くらいだったようだ)


古代の稲荷と、出雲

稲荷神社・稲荷信仰は古くから大人気だったようだが、そのイメージは時代によってかなり異なっている。
民間に支持された「ごく身近な神様」ということもあって、たくさんの属性が付与され続け、アップグレードし続けてきたのだ。



現代では、稲荷といえば商売の神様、稲荷と言えばキツネ、という印象が強い。

が、稲荷の祭神「ウカノミタマ(直訳すると、御飯の魂)」は穀物・農作物の神様であり、平安時代以前、元々の稲荷山はヘビを信仰していたとされる。

穀物をあらすネズミを食べてくれるヘビ。


キツネが人気になりすぎて、今の稲荷信仰にはほとんどヘビの面影はないけれど、社務所でいただくことのできる「ご神符」にはその名残を見ることができる。

中央にいるのは、キツネではなくヘビなのだ。





稲荷神社に祭られる神様は、古事記の系譜ではスサノオの子供ともされている。


この伏見稲荷をはじめ、祇園の八坂神社、上賀茂神社・下賀茂神社、松尾大社、蚕ノ社、石清水八幡宮など、京都に古くからある有名な神社の多くが出雲系・渡来系と関わり深い。

市内には今も出雲路という地名が残るし、出雲の方角へ古道を進めば、出雲大神宮という「こっちが元々の出雲大社」だという伝承のあるオオクニヌシを祀る古社もある。

これは、平安京以前は、出雲系・渡来系氏族によって開拓されてきた場所だかららしい。

たとえば出雲系氏族のひとつである「出雲氏」は、京都の賀茂川近辺に勢力を持って、さまざまな技術を伝えた有力氏族。
来歴が面白くて、その祖先はアメノホヒという「高天原から国譲りの交渉に地上に降りてそのまま出雲に居ついてしまった神様」とされている。


こうした有力氏族たちによって京都盆地が住みやすい土地になったことで、「奈良・平城京から新しい都を誘致」することにつながっていった――――

つまり、「京都が京都になった」理由が、現在に残る神社を通して見えてくるように思う。




今年、島根をめぐる旅をする予定だが、その際はこうした「古代の京都と出雲の関係」について掘り下げることを旅のテーマの一つにしたいと思っている。




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