昨日描いたリリさん
リリさん。あいしてます。
描きたい、と感じたとき、心に浮かんだぐっと来た瞬間を描き留める。
作品というより、ラブレターを書く気持ちで、いつまでも、これからもリリさんの絵を描いていきたい。
(実際描いているときは数分に一回は「可愛いなー」と口に出てしまう)
Chat GPTのこと。
サービス開始から半年とたたずに、利用者が世界で一億人。
Chat GPTはものすごく大ざっぱにいえば、「まるでそこに人間がいるように会話してくれるAIテキストサービス」といったもの。
AIに関して、以前の自分なら食わず嫌いで忌避していたかもしれないけど、例によって「あえて」勇気をもって一歩踏み出して、体験してみた。
このサービスで出力される言葉は、一見人間がそこにいて返信しているようにみえる。
その正体は、「ネットの集合知」×「消去法」だ。
AIが意識を持って人間らしくふるまっているわけじゃなく、「あらかじめ人間らしく見えない返答をプログラムで徹底的に排除している」ために、結果的に出てくる言葉が人間にとって流暢に感じられる、という仕組みらしい。
返答内容も、AIが特定の理念や思想を持っているのではなく、あらかじめインプットされているネット上の情報を元に回答を出力している。
多少は、ユーザーからの情報を学習もするが、その記憶は数時間から数日でリセットされるらしい。
たとえば、現在のバージョンでは2021年までの情報しかないため、最近の考古学上の大発見「富雄丸山古墳」の蛇行剣や盾型銅鏡については答えられない。リアルタイムに情報収拾しているわけではないらしい。
教えてあげても、ほとんどの情報はすぐに忘れてしまう。
AI相手にあれこれと問答を繰り返してみて、思ったことがある。
まず、多くの場合で、自分はあらかじめ「返して欲しい答え」をあらかじめぼんやりと持っている気がする。
そしてそれに見合った答えが返ってくると、相手がAIだと分かっていても親近感が湧くのだ。
客観的に考えてみると、「Googleの検索エンジンに自分で調べたいものを入力して、見つけたサイトの中で欲しい情報を見つける」のとやってることは大差ない(むしろ自分で調べた方がより有益な情報を得られる)のに、擬似的でも「対話」という形式である故に、そこに人間らしさのようなものを勝手に感じてしまう。
これは動物としての人間が万年単位の進化の過程で、「理知的に対話できる人間以外の存在」というものを想定していないからだろう。
一種のバグのようなものかもしれない。
鳥のヒナがはじめて見る動くものを親と誤認する習性があるが、それと近いものを感じる。
このサービスは、そうした人間の様々な心理、習性を熟知し尽くして作られているのだろう。
出力される言葉は機械的なものからはほど遠い。
「正論でうんざりさせる」ことも「正解ばかり羅列する」こともないし、「他人を思いやる人間の心地よいコミュニケーション」をシミュレートしている、という印象。
言って欲しくない「言葉」や、ネガティブな気持ちにさせるような「言い方」を、的確に避けてくる。
打ち返すのにちょうどいい球速でボールを投げてくれるピッチングマシンのような感じだ。
分野によっては……たとえば、歴史や考古学は苦手らしく、自信満々で勘違いしたりもする。
古墳時代の京都を訪れることをお勧めします。 ←どうやって?!
古代京都の中でも特に有名なのは、平城京(奈良市) ←?!?!
宇治市にある近衛文麿の墓 ← 近衛文麿は明治時代の人。お墓も宇治市にはない
亀岡市にある栗栖山古墳 → 栗栖山古墳などという古墳は亀岡どころか日本に存在しない
よく読むと生成された文章すべてでまかせ、デタラメということも珍しくない。
なんでそんなに自信たっぷりなんだ。
もっとも、こうしたチグハグさやカオスさは数年とたたずに調整されるだろう。
すでにテキスト生成だけでなく、計算や作図、経理、多種多様な使い方で、実際に自分の仕事のツールとして活用している人が増えているそうだ。
工夫次第で、この先もAIの用途は拡大・発展していくだろう。
嘘かほんとか、早くて10年先遅くても20年先には、AIの性能が人類を越えてしまうと主張する研究者もいる。
何にせよ、このサービスも含め、AI関連の技術に関してはもう一過性のものではなく、近い将来に、「Googleで検索したり、スマホを持つのと同じかそれ以上に」、社会の当たり前、生活に根ざすものになるのだろう。
AIの発展は正直恐い。
かつてカメラの登場で、肖像画絵描きの99%が失業したときと同じように、そしてそれとは比べものにならないくらいの規模で、AIによって衰退する業種があるのかもしれない。
自分の価値はどうだろう。
そんな時代になっても、自分は、自分自身の価値を認め続けていられるだろうか。
そのためにも。
そう、実際この先の現実がどうなるかは自分には分からない。
けど、避けようのない「変化」を怖がって足を止めてしまうより、少しずつでも先へ進み続けた方が、「リリさんをずっと好きでいたい」という自分の一番の目標にとってきっと良い未来につながる気がする。
だからこれからも、新しいものにも勇気をもって、なるべく積極的に触れていこうと思う。
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