■「風雨来記」「風雨来記4」について書きます。ストーリーのネタバレなし。
■「自分はこう考えたよ」という、個人的な感想・考察記録です。
■ 記事内で、ゲーム内のスクリーンショットを、権利元を表記した上で引用しています。
風雨来記3、4で初めて「風雨来記」に触れた方の中には、作中で主人公が折に触れて口にする「あの人」とか「あのサイト」とか「最高の一枚」について、結局一体どういうものなの?と気になった方も少なくないと思います。
主人公の行動原理や夢の根幹にも関わってくる重要な要素にも関わらず、作中では具体的なことは語られません。
これには理由があって、そもそも主人公は、「あの人」――これは風雨来記1・2の主人公であった相馬轍のことなのですが――について、ほとんど何も知らないのです。
「あの人」が北海道を旅してその記録を「サイト」にアップしていたのが、2000年の初夏。
4主人公が「あの人のサイト」を知ったのは2010年~11年頃、つまり実際の旅から10年以上経過した後で、その時にはすでに「あの人」は活動の拠点を海外に移していた(らしい)ため、日本語のネット検索では彼のその後の情報が見つからなかったのだと思われます。
元々「あの人」は紙媒体の雑誌記者だったこと、ウェブでの活動をしたとしても沖縄での仕事のような「期間限定」の企画だったりしたことも、主人公が、北海道以降の「あの人」の消息を追うことが出来なかった原因でしょうか。
英語で海外のサイトを検索すれば、彼の痕跡を見つけられる……かもしれませんね。
そういうわけで、主人公は「あの人」個人や「最高の一枚」について、過去作未経験のプレイヤーとほぼ同じ情報しか持っていません。
そしてこれについては、むしろ知らない方が主人公とシンクロできるかもしれませんね。
明確に見えない、知らないものだからこそ想像を膨らませて追いかける、そんな楽しみ方ができると思います。
ただ一点、プレイヤーとの情報量に明らかな差異があるのは、「あの人のサイト」についてでしょう。
実際にそのサイトを見ていないプレイヤーにとっては、とにかくすごい!と言う主人公経由の主観マシマシ情報しか知ることができません。
モネの池でのリリさんと同じ状態。
徳山ルートの、増山たづ子さんの写真もそうですが、テーマに深く関わる「ビジュアル」をあえて見せない姿勢は、制作者側の様々な意図や事情を感じられます。
ここではそれについては深くは考察しませんが、前向きに考えるなら、
「見せなくても問題ない」もしくは「見せない方が伝わる」
と判断された、というところでしょう。
そうした思惑を鑑みると、これから自分が書くことは、ちょっと蛇足なのかもしれませんが……
今回の記事では、主人公が心酔するあの人のサイト――「風雨来記」について、簡単にまとめてみたいと思います。
1・2未プレイの方向けというだけでなく、既プレイの方でもけっこう記憶が曖昧になっていたり、忘れていたりする部分もあったりなかったりする(自分がそうだったので…)…かもしれませんよ。
あの人のサイト「風雨来記」とは
――西暦2000年。
4年に一度行われる出版界のオリンピック「心光展」。
業界でも最大級とも言えるこの大イベントに、2000年度(ミレニアム)開催を記念して「WEB部門」が初設置されました。
そこに、北海道をバイクとテントで野宿旅する企画でエントリーしたのが「あの人」であり、そのサイト名こそが「風雨来記」でした。(サイト名はプレイヤーが変更可能)
記事の構成は「写真二枚+テキスト」と言う、4と同じものです。
当時は、まだスマホもない時代。
携帯電話をノートパソコンにつないで、ダイアルアップ接続と言う今の数百分の一?くらいの速度の回線を使って、ネットを利用していました。
記事の写真が二枚縛りだったのも、当時の回線では一枚の風景写真をアップするのに下手したら何十分もかかったりした、という事情を反映してのものでした。
サイトデザインやブラウザがシンプルなのも、同じような理由です。当時はこんな感じが普通でした。
「あの人」の書くものは、「読んだ人もまるで自分もそこにいるように感じられる記事」がモットーで、ぶっきらぼうとも言えるくらい軽快な文章――「俺は~だ、俺は~と思う」のように、隣にいる友人に語りかけてくるような語り口が持ち味です。
そして訪れたスポットの紹介にとどまらず、その場所で自分が何を感じ、何を思ったかを大切に、ありのままにつづっていきます。
(3・4の主人公もこのスタイルに強く影響を受けていますね)
以下の引用は、メインストーリーとは関係無い、ただ旅先で訪れた場所や、出会った人についての記事です。
個人的に印象深いものをいくつか抜粋しました。
なぜなら、俺が黙っていれば辺りはずっと静かなままなんだ……
チミケップ再訪の記事。 普段なら好ましく感じるはずの、大自然の中の秘湖で。 /風雨来記
大きな自然に包まれているこの感動を伝える相手がいないことも、最高の景色をバックに微笑んでくれる被写体がいないことも、どれもこれもが俺には寂しく思えた。
(中略)
だけど、俺はきっと一人旅をやめないだろう。
それは、この寂しさがあるからこそ、誰かに出会いたくなるから。寂しさを感じたぶんだけ、出会ったことが嬉しくなるから。
それが俺の旅だと思うから……
このドラマを、俺が感じる思いを誰かに伝えるなら、それは「切り取る」のではダメなのだと。
霧に包まれた知床五湖の記事。誰もいない湖畔で、いつか撮りたい最高の被写体を想像する。 /風雨来記
伝えきれないもどかしさを、懸命に『込める』のではないかと。
久々にカメラを使わずにイメージを遊ばせてみた時、俺が見た被写体が、とても大事なことを教えてくれた気がする。
最後に一度だけ、今度はカメラを向けてイメージした。
そこに一瞬だけ見えたものを、俺はいつか本当に写してみたい。
切り取るのではなく、思いを込めて伝える為に。
俺はふと、懐かしいひとの顔を思い浮かべた。あれは中学三年の今頃、雨の降る午後だった。
ピリカウタ展望台の記事。海を眺め、そこにある島を見て、恩師の言葉を思い出す。 /風雨来記
担任の先生に進路を聞かれて俺は、無人島で暮らしたい、と言ったのだ。
すると先生は、とても真剣な面持ちで、
『夢を持つのはいいが自然を侮るな。
人間の力など、自然の前ではちっぽけだ。例えば、現代科学の総力を導入しようとも、目の前の雨ですら止めることも正確に予測することも出来ない。
それでも自然の中に行きたいのなら、まずは力をつけることだ』
そう言って諭してくれた先生の言葉は、なぜだかとても説得力があった。
『力をつける為に、お前が何をするのも自由だ。
高校へ行くも就職するも、それ以外の道へ行くのもいい。
自分に自信を持てるようになって、その時が来たら挑戦すればいい』
伝説はその女性を「女王蜂」と呼ぶ。
「彼女と一夜を過ごすと夢がかなう」伝説のライダー女王蜂・榊千歳の素顔について語る記事。 /風雨来記
最初にそんな話を聞かされた時は、ありがちな噂話、小さな出来事が人の間を伝わる間に大袈裟になってしまったよくある「伝説」だと思っていた。
…ところがどうも、俺は知らず知らずの間に彼女のことを追っていたのかもしれない。
駐車場、キャンプ場、お土産物屋さん、自動販売機、特に何もない空き地、霧に包まれて何も見えない道ばた。あるいは熱い温泉……に持参した生卵(それで何をするかというと…)。
どんなところでも、彼の心が動けば、それがすべて記事になる。
(ゲーム的にも、道中のありとあらゆるエピソードを記事にしてアップロードすることが出来ます)
こうしたスタイルですので、有名観光地を訪れたのに、その観光地の紹介がないことも多々あります。
(ゲーム内の)一部の読者からは「もっと広く多くの情報を欲しい」「分かりやすい観光紹介の方がいい」「今どき暑苦しいのは流行らない」というような批判が記事への意見として届くこともありました。
そんな否定意見もまた、ゲームの臨場感を演出していたように思います。
手紙のような、語りきかせの物語のような。
そんな親しみやすいテキストなので勘違いされることもありますが、こうした構成を、彼は、
「自分の旅への思いを読者に伝えるために」
「読者を旅の空の下にいるような気分にさせるために」
という目的意識を明確に持った上で、プロライターとして「意図して」やっていました。
当時まだ20歳でしたが、すでに3年ほどフリーライターとして経験を積んでおり、天涯孤独の身の上から「食うための仕事」というプロ意識もまた、人一倍強かったのです。
一方で、旅先での、普通の人は気にも止めない出来事――たとえば、雲の合間からほんの一瞬見えた山の姿から強いインスピレーションを得て芸術的とも言える記事を書いたり、心から撮りたいと思った被写体にしかシャッターを切らないという強烈なこだわりを持っていたりという自身のアーティスティックな面と、職業記者の部分とを、巧みに両立させていました。
そんな彼の描く、一ヶ月、バイクとキャンプで巡る、北海道中旅日記。
楽しく賑やかでほっと胸があたたかくなる、旅先の話。
男の子心のまま大人になったようなワクワクする冒険譚。
あるいは彼の過去の体験が育んだ感性で紡がれる、時に詩的で、そして泥臭い、日々の記録。
そんな記事たちが、見る人の心を時に熱く、時に切なく、強く打つ。
彼の記事のファンは、記事を読むたびに、強烈にこう思うのです。
「ああ、旅に出たい!」
「北海道に行きたい!」と。
そして実際、何人もの読者が彼の記事の影響で旅に出てしまったのです。
ゲームの中でも、ゲームの外でも!
まとめ
「風雨来記」は自分にとって、この旅記事そのものにも「旅作品」として大きな価値がある、と思えるくらい本当に素晴らしい作品です。
今回は紹介していませんでしたが、恋人ができてウキウキ気分が文体から溢れるような記事、一緒に旅する誰かと二人三脚で書き上げた記事、唐突にロボットアニメの話題になる記事、というように、コミカルな記事もたくさんあって、とてもバラエティ豊かで。
しかもそれらの大半に、選択肢による分岐もあるため、内容量も非常に、非常に膨大で。
独立した読み物として一冊の本にしてほしいくらい。
宝物みたいにきらきらした素敵な記事が、そこには、たくさんあります。
……あえていうなら、一部のギャグやユーモアが当時としても化石級だった…のが、たまにきず、というものでしょうか。
轍くんは、十代半ばからは社会に出てオジサンたちと仕事していたという設定なので、仕方ないのです……
千尋くんばりに「あの人」の記事について褒めまくってしまったけれど、千尋くんの記事も自分は好きです。
「あの人」のとはベクトルが違うから、並べて比較はしないしできないけれど、真摯で柔軟で根は頑固な人柄が伝わってくる記事がたくさんあって、4だと特に、最終週のリリとの別れについての記事が、とても心に響きました。
だからこそ4にも、1にあったような、クリア後にその旅で書いてきた記事を振り返って見返せる「旅日記」機能をつけてほしいなぁって、今でもつよ-----ーーーーく、思っています。
というわけで、今回は「あの人のサイト」についての話題でしたが、残りのふたつの要素――「あの人」そして、「最高の一枚」とは何だったのか、というテーマについても今後まとめるつもりです。
特に「最高の一枚」については、リリさんのエンディングについて考えるときに、とても重要なテーマだと思っているので…。
それでは、今回の記事はこのあたりで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
縁があれば、また、別の旅の話で。
記事を書きながら、風雨来記1~4各作品内のそれぞれの作品内記事の中から、自分が好きなおすすめ記事10選!……なんてのも楽しそう、なんて思ってしまいました。
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