「私は私なりに家のことも仕事のことも真剣に考えてるのに、全然伝わらないんだよね。父さんと母さんはさ、鮎の友釣り事件の時もそう!」
お、久しぶりにきたな。『鮎の友釣り事件』。
「あの時だって、早くお見合いしろ!とか早く家に帰れー!とか散々言っておいて、いざキミを連れて帰ったら、あれだよ? 私今まで生きてきて、あんなに恥ずかしい思いしたこと他になかった!」
※風雨来記4 母里ちあり編のネタバレを含みます。
橿森神社での旅立ちから、数年後のお話。
ショッピング・ドライブ
少し早めの夕食を食べたあと車に乗ってリリとふたり、街の大手スーパーに買い出しに出かけることになった。
いつも通り、運転は行きと帰りで交代だ。
今はリリがハンドルを握っている。
島根県は、海と山に挟まれた細長い土地で、離島を除けば東の端にある安来から西の端にある津和野までは約230キロある一方で、山陽側との県境までの幅は海から20~30キロほどしかない。
そして市街地のほとんどは、海に近いところにある。
田舎というイメージをもたれがちの(そしておおむねそのイメージ通りの)島根の中でも、さらに輪をかけた片田舎にある我が家からスーパーのある街までは、車で30分ほどの道程だ。
暮らし始めた最初こそ少し不便にも感じたが、今ではすっかり慣れてしまった。
特にリリとふたりのときは、会話していればいつもあっという間に過ぎてしまう。
買い出しは、日頃何かと忙しい俺達夫婦の、大切なコミュニケーションの時間になっていた。
――ところが。
今日の彼女はやけに静かで、無言のままフロントガラスごしにヘッドライトが照らす道を睨んでいるばかりだった。
横顔を見ながら彼女の方から話し出すのをしばらく待っていたがなかなかその気配がないので、こちらから声をかけてみる。
「リリ」
「なーにー?」
「なんかあった?」
「やっぱり分かっちゃう?」
「まあね」
頬はふくれているし唇はとがっているし眉根は寄っている。
「すごく分かりやすく『いま、私は怒っています』って顔に出てるよ」
「あはは……ごめんね。話振ってほしかったのかも。あ、先に言っておくけどキミに怒ってるんじゃないよ?」
「うん、それは分かってるけど」
「よかった」
少し笑顔を見せて、ぽつぽつと話し出した。
「あのさ、さっきまた父さんたちとけんかしちゃったんだよね」
「ああ……」
そんなことだろうと思った。
「やっぱり、仕事のことで?」
「そう。面と向かって反対してくるわけじゃないんだけど……遠回りにチクチク嫌なこと言ってきて。いい加減にして!ってちょっとキツくあたっちゃった」
「嫌なこと」
「『お祖父ちゃんは若い頃山でクマに襲われたから片目が見えなくなったんだぞ』とか。『佐田のおばさんは畑に出たイノシシに太ももを何十針も縫う大怪我させられたんだぞ』とか」
「ふむふむ」
「あとあと、『大昔の太平さんは川へゴギ釣りに行ったときにブトにかまれて、それ以来メロンパンみたいな顔になったんだぞ』とか」
ゴギは中国地方の一部にしか生息しない幻のイワナ。ブトはブヨともいう人を刺す虫だ。
そして大昔の大平さんとは…………誰だ? 思わずツッコミをいれそうになったが、
「それでね、『変わり者で有名だったひいおばあさんがそれを面白がって婿にしなかったら、きっと悲惨な人生だったぞ。お前もメロンパンになりたいのか』だって」
「あ、先祖なんだ」
その話はちょっと気になるな。
顔かたちを気にしなかったというひいおばあさん。
もしかしてリリの相貌失認って、母里家に昔から伝わる遺伝だったりするのかもしれない。
今度詳しく話を聞いてみよう。
「とにかくさー、おどすんだよ。そういうことが起こらないように調べたり、対策を考えたりするのが私のお仕事なんだよって説明しても……聞く耳持ってくれないんだよね」
そう言ってリリははぁ、と小さくため息をついた。
ホーム・フィールド・ワーク
リリの仕事は、いわゆる「獣害」問題に対する実地調査だ。
獣害問題。人間と野生生物との間の「軋轢」。
それは、季節毎に食べ物を求めて移動しながら狩猟採集生活をしていた人類が、農耕の開始にともなって定住生活をはじめた時からの大きな課題だ。
古い神社や神話でヘビやキツネ、あるいはカラスやトンビなどが神の使いや時に神そのものとして祀られているのは、そうした中型の肉食動物が、ヒトが農耕によって得た穀物や野菜を狙うねずみや小鳥など小動物を食べたり、追い払ってくれていた記憶が起源だという話もきく。
エジプトでも、同じ立ち位置にいたネコが神格化されたりしているので、これはなかなか説得力のある説かもしれない。
人類のパートナーとして、人気を二分するイヌとネコ。
イヌと人間の関係は狩猟採集時代。
ネコと人類の関係は農耕定住時代からだ。
今から9000年以上前、メソポタミア周辺で農耕が始まった最初期の頃に、穀物倉庫にあらわれるネズミを狙って人間と共存し始めたリビアヤマネコがイエネコの祖先と言われ、そのまま農耕の拡充と共にネズミ退治のパートナーとして人類に連れられて世界中へ広まっていったと考えられている。
日本にも、奈良時代に大陸文化とともに持ち込まれた。
当時、ネズミが教典や書物を食べてしまうという問題が発生していたため、それを守護するためネコがセットで輸入されたそうだ。
しかしと言うか何というか、平安時代にはもう、本来の役目置いてけぼりで「めっちゃ貴重で可愛い動物」として皇族や貴族に飼われてちやほやされていた様子が当時の記録にたくさん残されている…………さもありなん、という感じだな。
リリの話では、意外なことに近年の獣害対策の中で「ヤギ」がかなり注目されているらしい。
なぜかはよく分かっていないそうだが、シカ、イノシシ、サルなど畑を荒らす常習犯の中~大型動物たちはヤギを避ける傾向があるらしく、ヤギを畑に放牧すると農作物の被害が激減する効果が確認されているのだとか。
日本にヤギが持ち込まれたのは江戸時代と言われるが、ネコにしろヤギにしろ、もし神話時代の日本に持ち込まれていたなら、どちらも「神の使い」とあがめられていたかもしれないな。
また、作物の守護者は動物だけに限らない。
奈良時代にまとめられた古事記では、「カカシ」が田の神として神格化されている。
カカシはヒトに似せた人形を田に設置して、視覚的に鳥獣を追い払う仕掛けだが、元々は「嗅かし」を意味し、「嗅覚に訴える装置」が原型だったとも考えられている。
実際、肉や毛などを焦がして櫛にさし、畑につきたてたものも、カカシと言う。
視覚や嗅覚の他にも、今は日本的な風流を楽しむためのものと化している「鹿威し」なんかも、本来は文字通り大きな音をたてることで鳥獣を追い払う装置だし、歴史の授業で習う弥生時代の「高床式倉庫」などはまさに、物理的な獣害(野ねずみ)対策だな。
そういえば、最近「オニヤンマの模型」が虫除けグッズとしてアウトドアや釣り、園芸界隈で人気だが、あれも根ざすところは同じだろう。
オニヤンマは最強格の昆虫のひとつで、それに似せた模型を身につけておくことで、蚊やアブ、ハエなどの害虫が寄ってこなくなる――という仕組みなのだそうだ。
古くから、林業や鮎釣りなどをする人の間では黒と黄色の2色ロープ、いわゆる「トラロープ」を短く切ったものを身につけていると虫除けになることが経験則で知られていた。
それに「理屈付け」したのが「オニヤンマの模型」ということだろう。
そんなふうに人類が日夜あれやこれやと知恵をこらして工夫を重ね、神話の時代から長い時間を経た現代においても、獣害はいまだ解決の目処は立たず、日常生活や農業、衛生、観光、レジャーなど様々な分野で、無視できない大きな問題として人類の前に立ちはだかっている。
鳥獣被害と一口にいっても単一の原因があるとは限らない。
うまく折り合いをつけて人と動物、お互いの生活圏を尊重していきたいものだが、獣害が起こる要因は開発によるもの、気候の変動、生態系全体のバランス、あるいは地域固有の問題など多岐にわたる上、現在進行形で状況が変わっていくこともあって未だ「はっきりこれだ」と断定するのが困難な分野だ。
おそらく一元的な答えはなく、その場所、その時々で、無数の最適解があるのだろう。
リリが今、研究機関や民間団体から依頼を受けてやっているのはこうした問題に関連する実地調査が主だそうだ。県内各地を忙しく飛び回っている。
俺の仕事の場合は主に「人と土地の関わり」に注目して記事にするけれど、リリの場合は「人と土地と野生動物との関わり」を調査している。
こうした取り組みは今すぐ成果や結果が出るものではないだろうが、コツコツとデータを積み重ねていくことで、将来的に何らかの解決の糸口につながることが期待されているのだという。
鳥獣の生息実態を調べるために野山へ入って調査する場合は単独で行動することはなく、役場の職員や大学など研究機関の関係者、あるいは知人の猟師らと複数人が基本ということだ。
ただ、人里に近い田畑付近などでは単独調査をすることもあるらしく、お義父さんとお義母さんはこれをよく思っていないらしい。
なんだかんだで娘に対してちょっと過保護気味なところがあるから、反対しているというよりは心配しているというのが本音だと思う。
実際、こうして自然豊かな片田舎に住んでみると、人やペット以外の動物が身近に生活していることを肌で感じる。
林を歩けば姿も知らない鳥がたくさん鳴いているし、川を見れば魚影が濃いので光が反射してそこら中キラキラしている。
シカやサルは、バイクや車で道路を走っていればよく見かけるし、近所の養鶏場がキツネに襲われたという話も何度か聞いた。
イノシシやクマは滅多にみないものの、山道や水辺の足跡や糞、あるいは食い荒らされた畑など彼らの痕跡を見つけることは珍しくない。
やっぱりいるんだなぁ、出くわさなくてよかったと胸をなで下ろすこともしばしばだ。
奈良時代の「出雲国風土記」によれば当時のこの地域では、クマ、オオカミ、イノシシ、シカ、ウサギ、キツネ、ムササビ、サルが見られたことが記録されている。
近年になってニホンオオカミが絶滅してしまったことをのぞけば、1300年たった今もそのままの顔ぶれが変わらず残っているのは結構すごいことだと思う。
そんな風にとにかく山野が身近な地域なので、お義父さんもお義母さんも野生動物と関わることの危険性は肌身に染みて知っている。
だからこそ、大事な娘が心配でたまらないのだろう。
それならそうと素直に言葉に出せばいいものをそうはしないから、リリからすれば「嫌なことを言っておどしてくる」と不満が溜まるのだ。
どちらの気持ちも分かるだけに、こういう心情の齟齬については、入婿である俺が調整役としてうまい具合に解消していかないとな。
もちろん、リリの身を案じる気持ちは俺も同じ。彼女がフィールドワークへ出かける日は、どうしても不安な気持ちを抱いてしまうというのが正直なところだ。
だが、これに関してはお互い様というか、じゃあ俺が乗っているバイクはどうなのか――という話にもつながる。
鉄の壁とエアバッグで幾重にも護られた車と違って、体がむきだしの状態で走っているバイクは、万が一事故が起きた際にそれがそのまま命の危険に直結するケースが多い。
運転中の事故における死亡率は、車を1としたときに自転車は2、バイクは3倍にもなるというデータがある。
別のデータでは、バイク運転者一万人中の死傷数は十人程度だという。
1000分の一。
この数字を「やっぱり多い」と考えるか「思ったより少ない」ととらえるかは個人の価値観によるものも大きいだろう。
リリはこれまで、俺がバイクに乗ることについて一度も反対したことはない。
だからといってそれは、「心配や不安をしていない」とイコールではないと俺は痛いほど知っていた。
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エアバッグ・ペアルック
以前、仕事で半月ほどのキャンプツーリングをしている最中にリリが突然電話をしてきたことがある。
運転中でしばらく気付かず、休憩でスマホを見た時には着信履歴が十数件並んでいた。
これまでそんなことは一度もなかったので家で何かあったのかと慌ててかけ直すと、ワンコール目でリリが出て、俺の声を聞くなり「よかったぁ……」と安堵の声をこぼして泣き出してしまった。
彼女があんな風に泣いたのはあの時がはじめてで、こっちも呆然としてしまったのを驚いている。
ようやく落ち着いてから話をきくと、ちょうどその日俺が走っている地域でかなり大きなバイクと車の接触事故があり、たまたまそれが俺のバイクと同じ車種だったのだそうだ。
たまたまテレビでそのニュースを見て、頭が真っ白になったらしい。
やがていつものペースを取り戻したリリは、『心臓止まりそうになったよー。無事な声きけて安心したから、電話切るね! 気をつけて旅をつづけて』といつものノリで笑って電話を切ったけれど、数日後に俺が帰宅すると思い切り抱きつかれてしばらく離してもらえず。
言葉以上にもの凄く心配してくれていたことを思い知った。
この話には後日談がある。
その次の俺の誕生日の時に、リリからバイク用のエアバッグジャケットをプレゼントされたのだ。
バイク用のエアバッグは車のような車載装備ではなく、運転手が「着るタイプのエアバッグ」だ。
元々はプロのバイクレースや交通機動隊(白バイ)のために開発された製品で、近年になって一般道装備としても販売されるようになり、安全面にこだわるライダーを中心に少しずつ普及し始めている。
バイク用プロテクター(装甲)の数倍から数十倍という圧倒的な耐衝撃性を誇る、ヘルメットと並んで最高のバイク用安全装備だ。
大きく分類して機械式(ワイヤータイプ)と、電子式(ワイヤレスタイプ)の二種が存在する。
前者は、エアバッグから出ているワイヤーをバイクに接続し、このワイヤーが急激に引っ張られる(つまり事故によってライダーがバイクから投げ出される)ことをトリガーとしてエアが膨らむ仕様。
膨張速度はワイヤーが引かれてから0.1~0.2秒ほど。
後者は、センサーとGPSを用いたコンピューター制御だ。
ある製品では、1000分の一秒単位でセンサーが「事故を検知」し、エアが展開するまでの時間は文字通り「まばたきよりも速い」、脅威の0.045秒という。
このセンサー、後ろから突っ込んでくる車にすら対応するというから驚異的な技術だ。
それぞれ弱点もある。
ワイヤータイプは、ワイヤーが外れたらふくらむというシンプルな機構ゆえ確実性が高い一方、乗降のたびにワイヤーをつけ外しするというひと手間が増える。
また、直接衝突やバイクの下敷きになるなど、ワイヤーが外れないタイプの事故では作動しないし、ワイヤーが外れて0.1秒以内に激突してしまう状況などでは作動が間に合わないという問題点もある。
一方、ワイヤレスタイプは最先端技術がつまった電子制御のハイテク装備故に高性能高機能を誇る反面、メンテナンス不足や充電忘れによるバッテリー切れ、温度変化等による電子機器不具合の可能性を考えると、信頼性・確実性ではワイヤータイプに軍配があがる部分もある。
また、価格(初期費用及びランニングコスト)もワイヤータイプより倍以上高くなる。
バイク用エアバッグはまだまだ成長途上の分野のため一長一短あるがどちらにせよ、公道上ではまだまだ着用しているライダーを見かけることがほとんどない装備だ。
俺の身を案じてくれているリリの心遣いに感謝すると同時に、バイクにあまり詳しくないはずの彼女が、よくこんなものを見つけてきたなぁと驚きもあった。
自分なりにあれこれ調べて吟味し、俺の姉貴に相談したりもしながら、選んでくれたらしい。
「せっかくのバースデープレゼントなんだから、バイクに乗るときはいつも身につけててくれるとうれしいな」
前にもどこかでそんな言葉を聞いた気がする。
そんなリリの口調は冗談めかしていたけど、目は真剣だった。
俺の場合は物心つく前から、というか自分が生まれた時にはすでに姉貴が大型バイクを乗り回していて、それを見て育ってきたから、一番身近な乗り物即ちバイクだった。
バイクという乗り物の持つメリットだけじゃなくリスクもじゅうぶんに承知した上で、バイクに乗るという選択をしているという自負がある。
そんな俺でも、もし自分の子供がバイクに乗りたいと言ったとしたら、止めはしなくても心配はしてしまうと思う。
エアバッグをプレゼントしてくれるくらいだ、リリにはきっと今だって俺がバイクに乗り続けることに対して不安な気持ちはあるだろうが、それでも決して「バイクに乗るのをやめてほしい」と言わないのは、俺にとってバイクに乗るという行為が仕事の手段や趣味の一環である以上に、俺という人間の一側面とも言うくらい大切なものだということを理解し、尊重してくれているのだと思う。
それが本当に嬉しく、たのもしく、ありがたい。
だからこそ俺も、独身の頃以上に安全に最大限に注意を払って運転するようにしているし、もし仮にいつか、心身その他の問題で『充分に安全を確保できない状況』になった時には、自分からバイクを降りようと決めている。
それが家庭を持つライダーとして、俺なりの覚悟であり、責任の持ち方だ。
それはさておき、今までエアバッグは使ってこなかったけれど、これを着ることで安全面の向上はもちろん、リリの心の不安も軽くなるならそれは素晴らしい装備だと思う。
喜んで大切に使わせて貰おう。
「ちなみにー」
リリが一度部屋の奥に引っ込んで、すぐに戻って来た。
「私のぶんもあります」
服の上に身につけた姿で、笑う。
「おそろいのペアジャケットか。タンデムも安心だね」
「うん……それももちろんだけど。あのね、相談がありまして」
「はあ。なんでしょう」
「私もバイクの免許とってみようかなーって考えているのです。どう思う?」
・
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リリの自動二輪免許取得に関しては彼女なりの思いがあり、また紆余曲折――主に両親とのひともんちゃく――もあったのだが、それはまた別の話。
彼女の仕事の話に戻そう。
そう、きっと、今のリリの仕事における姿勢も、俺のバイクとの関わりと同じだと思うのだ。
野生動物と隣り合わせの領域での活動において、常に緊張感をもち、リスクを念頭において安全を確保しながら行動しているはずだ。
まだフィールドワーク中の彼女を直接見たことはない。
だが、野外活動に赴くときはどんなに見知った場所や人里に近い場所でも、緊急避難用の装備やGPS、熊スプレーなどを入念に準備して出かけていることを知っている。
真剣に、一所懸命仕事に取り組む彼女の姿は格好良く、ついついドキリとしてしまうのは内緒だ。
元々、短大時代は動物関係の就職先を探していたというリリ。
結果望んだ仕事にはつくことができずに本人曰く「なんとなくで就職先を決めた」結果、数ヶ月で肌に合わずその会社を退職している。
もうその時と同じ轍を踏まないように、様々な選択肢がある中で、自分の特性や家業である農業との折り合いなど熟考を重ねて見つけた道なのだと思う。
実は……結婚を決めたとき、もしリリが本当にやりたいことを「家の外」に見つけたならば、家業は俺に任せて、自分のしたい道を自由に選んでほしいと思っていた。
それは単純な理由で、「俺がリリと同じ歳の頃はそうだった」からだ。
あの、夢に仕事に夢中で、全力でぶつかる日々が、今の俺を形作っている。
だから、リリにもしかなえたい夢や目標ができて、そのために必要なことだと彼女が考えるなら、大学に通い直すのもいいし、県外も含めて動物関係の仕事ができる就職先を選ぶのもありだと考えていた。
そのときは快くOKしよう、俺も一緒になってサポートしよう――。
今思うと、自分がそうだったからリリにも……なんていうのは俺の身勝手なエゴに過ぎなかったな。
リリは、リリ自身で答えを見つけ出した。
ホームフィールドで働くという答え。
それも、俺が予想もしていなかった形で。
彼女曰く、この道を選んだきっかけとして、「シカ親子」とのことや「ブルーベリー畑」の一件が根っこにあるのだと言う。
どちらも俺達夫婦にとっては忘れられない出来事だ。
思い出というには苦い、記憶のトゲ。
よく見知った「馴染み」のシカ親子が、誤解から「駆除」されてしまったこと。
二人ではじめて一緒に畑を作り、育てたブルーベリーが、収穫直前に野鳥に食べ尽くされて全滅したこと。
シカ親子のときはやるせなくて二人して相当落ち込んだし、ブルーベリーの時は山間部で作物を作るということの現実を農業一年生として心底思い知らされた。
あの騒動の過程で、今やリリの師匠的存在となっている、猟師のトビおばあさんと知り合ったんだったな。
そうした野生動物に関わる事件や問題に直面するたび、リリの中で少しずつ気持ちが固まっていったそうだ。
「私とキミの畑を守るために、私ができることをがんばりたいって思う」
あるときそう言って熱心に勉強をし始め、いくつかの資格をとり、今はまだ見習い同然とはいえ鳥獣管理士として依頼を受けフィールドワークに出かけることが増えてきている。
リリは元々、動物を一頭一頭個体ごとに見分けることができるという特技を持っている。
実地調査ではその特技がおおいに役立っているだろう。
一方で、これは彼女と過ごすうちに知ったのだが、動物を見分けられることによって、人よりつらい思いをし、傷つくことも少なくない。
シカ親子の一件のとき、もしそれが自分の馴染みのシカだと分からなければ――リリはあんなに傷つくことはなかったのだ。
それでもリリは、そうしたことも乗り越え、受け入れた上で、今の道に立っている。
その道の先がどこに続いていくのか、今はまだリリ自身にも、もちろん俺にも、分からないけれど……
ルポライターとしての俺をリリがいつも心身ともに支えてくれているように、今前へ進み続けているリリを、俺もパートナーとして出来る限り尊重し、サポートしていこう。
「鮎の友釣り」
……と、あらためてそんな決意を固めている俺の隣で、リリは唇をとがらせてまだぶつぶつ言っている。
「私は私なりに家のことも仕事のことも真剣に考えてるのに、全然伝わらないんだよね。父さんと母さんはさ、鮎の友釣り事件の時もそう!」
お、久しぶりにきたな。鮎の友釣り。
「あの時だって、早くお見合いしろ!とか早く家に帰れー!とか散々言っておいて、いざキミを連れて帰ったら、鮎の友釣りだよ? 私今まで生きてきて、あんなに恥ずかしいこと他になかった!」
「そう?俺は気にならなかったけど」
「あの時さ、キミが怒って『もう結婚やめたー!』って言うんじゃないかって気が気じゃなかったよ」
「ないない。むしろほっとしたというか、楽しくやっていけそうだなって思ったくらい」
「えっ、うそっ。あんなこと言われて、なんで?」
なんで、と聞かれると。
リリと似てるなぁ。そう思えたから……というときっとリリは怒るだろう。
当時のことを思い出す。
・
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「鮎の友釣り事件」――とリリは呼んでいるが、別に事件というほどたいそうなものではないのだ。
俺達が出会った夏。
岐阜の旅の終わりに俺は、彼女を島根の実家へ送り届けた。
そこでリリの両親に挨拶をし結婚を考えていることを伝えたのだが、二人とも「娘のいたずら」だと思ったようで最初まったく信じてもらえなかった。
東京を出てから一ヶ月も岐阜をふらふらしていたのを怒られたくないから、誤魔化すために知人に頼んで一芝居打っているんだろう……というのが両親の見解のようで、うちの娘がご迷惑おかけして申し訳ない、と一方的に謝られてしまった。
リリは一所懸命本当のことだと説明するのだが、のらりくらり帰宅を先延ばしにした娘の信用はすでに地に落ちていた。
それでも俺とリリ二人で懇切丁寧に経緯を話し、本気だということを丹念に伝えると、ようやく冗談ではないと信じてもらえた。
やがてリリのお父さんは俺をまっすぐに見据えて、
「本当に、うちのちありと結婚する気なんですか」
「はい」
「うーん……」
賛成とも反対とも言わず、天井を見上げてしばらく沈黙。
俺は内心とても緊張しながら続く言葉を待った。
すると、お父さんは視線を落としてひとつうなずくと、
「ちょっと待ってて。 母さんこっちへ」
そう言い残すと、夫婦連れだって席を立ち奥の部屋へ歩いて行った。
な、なんだろう。
やっぱり突然押しかけたのがよくなかったか。
それとも、俺の心証が悪かったんだろうか。
よく考えたら岐阜の旅からそのままの装いで来てしまっている。
今回はリリを送り届けるだけにして、結婚の話は控えるべきだったか。
いやもちろん正式な婚約の申し込みは後日あらためてと思ってはいたんだ、今回はあくまでも結婚を前提としたあいさつだけというつもりで……
その考えが甘かったんだろうか。
今から「お前のような非常識でどこの馬の骨とも知れないやつに娘はやれん」的なことを言われて追い出されるんじゃないだろうか。
そうなったら……どうしよう。
正直、もうリリをあきらめるという選択は自分の中から出てこない気がする。
駆け落ち。逃避行。
リリが岐阜で言った言葉が思い浮かぶ。
不安とともにネガティブな考えがいくつも頭をよぎっていく。
すると俺の手があたたかいものに触れた。
隣に座るリリの小さな手が、俺の手に重なっている。
顔を見ると大きな瞳が真っ直ぐに俺を映していた。
「大丈夫だよ」
「え……」
「大丈夫」
リリの確信めいた口調と微笑みに、俺も自然と笑顔で返す。
「うん」
そうしていると、ふすまの向こうからやや興奮気味な声が聞こえてくる。
「なあ母さん、どう思う。もちろん――」
「承諾」
「だよなあ」
「あれだけお見合いを渋っていたちありが結婚するって言い出しただけでも奇跡だよね」
「まったくだ、どんな心変わりがあったんだか。おまけに入り婿希望だなんて、話ができすぎてて逆に怪しい」
「でも二人とも本気の顔してたよね」
「うん。詳しいことはゆっくり詰めるとして、逃がす選択はなしだな」
「うんうん、二人の気が変わらないうちに話を進めちゃいましょう」
「しかしちありのやつ、岐阜でふらふら遊んでると思ったら、うまく引っかけてきたなぁ」
「岐阜は清流が有名だもんねぇ」
「うん?」
「ほら、『清流』で『引っかける』と言えば?」
「なるほど、鮎の友釣り! うまいこと言うなぁ母さん!」
リリが顔を真っ赤にして立ち上がった。
「ちょっ……! ちょっとやめてよ! 恥ずかしいんだけど!」
先日、付知峡で見たときよりも一層の激怒の相だ。
床を踏みならして両親に詰め寄るリリの背中を見ながら、俺は頬が緩むのと共に緊張がほぐれていくのを感じていた。
・
・
・
以上が『事件』の顛末だ。
今でもリリは両親に対して腹をたてると、「鮎の友釣り事件の時もそうだった!」という具合に蒸し返す。
よほど根に持っているらしい。
確かに、鮎の友釣り漁は岐阜を旅する中で長良川や板取川などなど行く先々の清流で見た覚えがある。
「友」釣りと名はつくが、その実態は、自分の縄張りに入った敵に体当たりするという鮎の習性を利してハリを引っかける「おとり漁法」だ。
鮎は淡水魚というイメージが強いが、幼魚の頃は海で育ち、成長すると川を上がってくる習性がある。
清流までたどりついた鮎は岩についた苔のみを食べるため、普通の餌釣りなどでは釣ることができない。
それでこうした技法が編み出されたわけだ。
俺とリリの馴れ初めはもちろん「縄張り争い」ではない。
が、精神的な体当たりをされて心が近づいたところを見事に釣り上げられた――という点ではまあ遠からず……なのかもしれない。
そんな「友釣り事件」は俺からすれば愉快な思い出なのだが、一方でリリが憤慨する気持ちも分かる。
リリは行き当たりばったりで始めた岐阜の旅の中で、自分なりに両親のこと、家のこと、結婚のことなど目の前の問題と向き合って、真剣に考えていた。
そして、海外に出て帰ってこない兄の代わりに、ゆくゆくは自分が母里の家を継ぐという未来を受け入れていった。
俺に結婚の話を持ちかけたときにも、真っ先に「婿入り養子」の条件を出したくらいだ。
婿入り養子(入り婿)という制度は、世界的にも珍しく日本独自の文化のひとつだと言う。
元々、平安時代までは「婿入り」スタイルが一般的だったらしい。
現在のように、妻が夫の家に入り夫の姓を名乗る「嫁入り婚」が一般的になったのは、武家社会が浸透した鎌倉時代以降のことだそうだ。
ちなみに「婿入り」と「婿入り養子」、似た言葉だが、制度的に大きな違いがある。
「婿入り」は「結婚時に夫が妻の姓を名乗ること」を指すが、婿入り養子(入り婿とも言う)は「『妻との結婚』と『妻の家への養子縁組』を併せて行うこと」だ。
「婿入り養子」で家に入った婿は、法的に実子と同じ立場となるため家督や財産などの相続権や扶養義務などが発生する。
ここが「婿入り」と「婿入り養子」の最大の違いとなる。
このため、俺達の例でいえば、俺とリリは夫婦であると同時に、義理の兄妹でもあることになる。
ちょっと不思議な感覚だが。
――世の中には地元に根付いて家を継ぐ人もいれば、故郷を離れる道を選ぶ人もいる。
人生は一度きり、選択も人の数だけあって何が間違いということはない。逆に、明確なたったひとつの正解というものもない。
リリは一旦は東京へ出つつも彼女なりに考えて、故郷へ戻り、代々続いてきた家を受け継ぐという道を選んだ。
そんな中で、彼女が結婚するために俺に提示した「婿入り養子」という条件。
それはきっと、当時二十歳だった彼女がこれから背負うことになる、代々受け継がれてきた土地に根付くという大きな責任を、半分受け持ってくれること……「『一緒に』家を継いでほしい」という願いだったのだと今は思う。
そして、俺はパートナーとしてその手をとったのだ。
リリが「鮎の友釣り事件」について怒るのは、そんな一世一代の「ふたりの決断」を、茶化されたように感じてしまうからなのだろうなと思う。
スイート・スイートフィッシュ・フィッシング
話題は、鮎といえば夏になったら鮎の塩焼きが食べたいというところから脱線していって最近のアニメの話、コンビニの新作スイーツの話、そして次の週末は一緒に服を買いに行こう――というふうにコロコロ変わっている。
リリさん、もうすっかりニコニコ顔です。
いつものことながら、話していて飽きない人だ。
相変わらず、脈絡なくからかってくることがあるので油断も隙もないが、それも含めて楽しい時間だと感じてしまう。
メイクやアパレルなど俺にとっては門外漢の分野の話もしょっちゅうで、それでも面白く聞いていられるのは、夫としての愛情やリリ自身の魅力はもちろん、俺の仕事――ルポライターという職業ゆえの部分も大きいと思う。
リリの話、彼女の感性や視点は共感できるものもあれば俺の中になかったものもあって、刺激になる。
岐阜の旅の中でもそうだったし(何せのひコン4位をとった俺の記事の何割かは、リリとの会話が元ネタになっているくらいだ)島根に来てからも、新しい旅の企画の切り口や記事のフックになったことが一度や二度ではない。
今や俺にとってリリは、パートナーであり家族であり親友であり、仕事の上で一番身近な取材対象でもあるのだ。
・
・
・
他愛のない話をしているうちにスーパーの駐車場に到着した。
ふたり、車から降りる。
「それじゃ、行こっか」
リリが歩き出しながら手を差し出してくる。
歩み寄りながら俺はふと思う。
そういえば――、島根も古来からあゆと関わりが深い土地。
出雲国風土記にも、あゆについての記述があったはずだ。
伯太川。源出仁多與意宇二郡堺葛野山。流経母理・楯縫・安来三郷、入々海。有年魚・伊久比。
(伯太川。仁多と意宇の境の葛野山から流れ出て、母里、楯縫、安来と三つの郷を通って海に至る川。あゆとうぐいがいる)
そんな島根には現在でも、鮎釣りが盛んな川がいくつかあると聞く。
特に県西部にある高津川は、一級河川でありながら流れ込む支流を含め治水ダムが一つもない国内唯一の川。
国土交通省の水質調査において、『全国・水質が最も良好な河川』にこの20年間で七回選ばれてきたとびっきりの清流だ。
地域の伝承では、出雲から逃げてきたヤマタノオロチが眠りについたところが水源という。
そんな高津川は、西日本有数の『鮎どころ』らしい。
戦国時代には、毛利元就に高津川の鮎を使った料理を献上した記録があり、今でも正月の雑煮に焼き干し鮎を入れたり、鮎の炊き込み御飯、あゆずし、うるか(塩辛)などの郷土料理が多数残っている。
――鮎か。
百聞は一見にしかず、と言う。
一見とは「見る」に留まらず、自分で実際に体験や経験「してみる」ことだ。
一度リリと一緒に鮎釣りに挑戦してみるのもいいかもな。
「鮎の友釣り」が、彼女にとって楽しい思い出に変わるように。
そんなことを思いながらいつものように彼女の手をとって、並んで歩き出した。
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