龍の瞳と雨の温泉【風雨来記4を追いかけて・岐阜旅行記11】

2022岐阜の旅




■前回



雨の合間に

雨の中、飛騨の中心とも言われる霊峰「位山(くらいやま)」から無事下山。
麓にある道の駅でほっと一息、休憩していた。


お盆のまっただ中だからかあるいは雨天だからか、自分と施設の従業員さん以外に人の姿はない。
広い空間ひとりじめだ。


冬になればスキー客でごった返すんだろうな。
遠くでうなる風の音を聞きながらぼんやりと空を見上げる。





登山中はそれなりに降っていた雨もいつしか止み、景色も少し明るくなってきた。
見上げた雲がずいぶん薄く、ときおり青がのぞく。

濡れたレインウェアもすっかり乾いていた。

そろそろ出発しよう。




次の目的地は、下呂温泉。
ここからだと50キロほどだ。

順調にいけば一時間ちょっとでたどりつけるだろう。

温泉。ああ温泉。
登山で疲れた身体(主に足腰)が、熱い湯を心待ちにしていた。












飛騨の米・龍の瞳

途中立ち寄った道の駅の産直コーナーでは、久々野町特産品のりんごが並んでいた。
このあたりは「桃源郷」と称して桃をはじめ、桃、りんごや梨など各種フルーツの栽培が盛んだそうだ。





そんな中でふと気になるものを発見した。






「龍の瞳」。
テレビやネットなどでしばしば「日本一うまい米」と紹介されて話題になる高級米だ。
なんと原産地は岐阜だったのか!と驚いてしまった。

なんとなくもっと北の、新潟や富山の山間部が産地だと勘違いしていたのだ。
説明書きによれば、飛騨南部の下呂市が発祥らしい。



「龍」の名を冠したこの大仰なネーミングのお米は、一般的なお米より二回りくらい大粒で、強いもちもち感があり、何より味が良いことが特徴だという。



希少度と栽培の難しさに比例して、価格は標準的なコシヒカリの三倍ほど。
前々から一度は食べてみたいと思っていたけれど、5キロで七千円くらいするので手を出せないでいた。

でも、今回は良い機会かもしれない。
1キロから手に入るなら、お土産に買っていこうか。


ふつふつと購入欲が盛り上がってきたところだったが、ちょっと調べてみるとこれから向かう道路沿いで、直営の「龍の瞳直売所」があるらしい。

通り道だしどうせならそこまで足を延ばしてみよう。











というわけで、さらに数十分バイクを走らせて「龍の瞳直売所」にやってきた。
場所はちょうど、今朝訪れた水無神社のある一之宮町と下呂温泉の中間ほど。

風雨来記4のスポットでいえば、「厳立がんだて」の付近となる。



Googleマップには「龍の瞳」と表記されている。
何も知らない人が見たら、どういうスポットか想像もつかずびっくりするかもしれない。

龍の瞳のように大きな泉を想像するだろうか。
あるいは巨大な目玉のような岩を想うだろうか。







線路を渡り、龍の瞳の幟を目印に田んぼ脇の道路を進んでいく。
二百メートルほど進むと飛騨川の手前に、それらしい建物が見えてきた。








入り口脇に備え付けられている24時間営業の自動販売機で買っても良かったけれど、せっかくなので店内に入って、お店の人に色々教えて貰いながら購入することにしよう。



店内の棚には、各種サイズの白米、玄米や分つき米、米加工品などの他、「龍の瞳を最高に美味しく炊ける美濃焼の土鍋」など色々な商品が並んでいる。

無水調理もできるというこの土鍋にはかなり心引かれるものがあったが、予算や積載量の都合もあって、今回は1キロサイズの飛騨産龍の瞳(白米)をひとつだけ購入した。







パッケージには、

一握りの籾から物語は始まりました

とある。
あらためて調べてみると、「龍の瞳(品種名:いのちの壱)」は、「品種改良」ではなく「自然変異」で生まれた品種だという。


2000年の秋、下呂市にて発見者(龍の瞳の社長)がコシヒカリの田んぼで稲の生育状況を確認していると、その中にやけに背の高い稲穂を見つけたという。
最初もち米が混ざっているのかと思いながら刈り取ってみると、実った米粒がコシヒカリよりも大きい。

それでその籾を大事に取っておき、次の年の春に田んぼに植えてみた。
そして秋の収穫で食してみると、驚く程美味しかった。




何だか日本むかしばなしのようなエピソード。
これが龍の瞳のはじまりだ。

コシヒカリの田んぼから産まれたのでコシヒカリの突然変異と思われるが、遺伝子調査をしても正確な親が特定できないといい、龍の瞳の発見者は「ジャワ島原産のジャワニカ種※に近いのではないか」と主張している。

その花粉か種籾がどこかから紛れ込んだ……あるいは鳥か、もしかして龍の神様が運んできてここに落とした……
龍の瞳というネーミングにはそんなスケールの大きなロマンがこめられているのかもしれない。

※インドネシアの一般的なお米で、ジャバニカ種、熱帯ジャポニカ種ともいう。遺伝的に、タイ米などのインディカ種より日本のジャポニカ種に近く、過去に陸稲として日本で栽培されていた歴史もある




コシヒカリの突然変異種には「ミルキークイーン」という品種もある。
ミルキークイーンも龍の瞳と同じく、普通の日本米(うるち米)より「アミロース(さらさら成分)」が少なく「アミロペクチン(もちもち成分)」が多いという共通点があり、どちらも食べたときのもちもち感が強いそうだ。

一方、大きさに関しては大粒が特徴の龍の瞳と比べ、ミルキークイーンは一般的な米より小さめという違いもある。



風雨来記4を追う旅では忘れちゃいけない、「大粒の米」といえば同じ岐阜県内で、西美濃を中心に栽培されている「ハツシモ」というお米がある。
作中でやたら(いろんな意味で)印象的だった、あのハツシモだ。






実は、「コシヒカリ」と「ハツシモ」は、どちらも昭和時代に生まれた品種で、「近畿15号」という品種を母系ルーツに持つ親戚関係にある。

農林水産省が1931年から「広く普及が見込まれるイネ品種」に割り当ててきた登録番号通しナンバーがあり、近畿15号は農林8号(1937年)。
ハツシモは農林54号(1943年)。
コシヒカリは農林100号(1956年)となっている。
(調べていて、コシヒカリってそんな古い品種だったんだと驚いた)


ネットレビューなどでは「サイズ感」や「モチモチ感」「香り」などの部分において、「龍の瞳」は「コシヒカリ」よりも「ハツシモ」に似ているという意見がある。
一方、味の性質は、どちらともかなり違う、とも。


味の感想は個人差が大きい。
とにかく自分自身の舌で確かめてみなくては。








ところで。

商品名も会社名も「龍の瞳」なのに、稲としての品種名は「いのちの壱」という名前がつけられている。
人間で言うと、これらは「芸名」と「本名」のような関係だ。



自分の様な素人からすると、名前がふたつあるのはついついややこしく感じてしまうが、これはきっと、ブランドや権利を守るためなど、色々な事情があるんだろう。

ブランドと名前をわけることで、「いのちの壱」というイネ品種を栽培することは法律上誰でもできるけれど、「龍の瞳」という「登録商標」を第三者が使用することはできないからだ。


これによって、「株式会社龍の瞳」が「いのちの壱」の中でも特に品質の良いものだけを「龍の瞳」として認定し、それより質が落ちると「銀の朏」や「ありがとう三米」というふうにランクわけすることで、「龍の瞳ブランド」を大切に育て守っている。




実は、こんなふうにブランド名と品種名が違うのは稲に限らず青果物関連ではよくあることだ。


いちごの「あまおう」→登録商標 品種名は「福岡S6号」
柑橘の「デコポン」→登録商標 品種名は「不知火」


これらは、品種よりブランド名の方が有名な例の中でも顕著なものだろう。

余談だが、富有柿発祥の地である柿の名産地岐阜は「柿」に力を入れていて、「2個で100万円」という脅威の値で売れた最高ブランド柿「天下富布 天下人」がある。これの品種名は「ねおスイート」という。




日本人が誰もが知っている「みかん(紀州みかん、温州みかん)」も総称で、品種名は多岐に渡る。

「みかんって買うたびに、皮がむきやすかったり、むきにくかったり、内皮が分厚かったり、薄かったり、甘かったり、あるいは味が薄かったり、なんか味が安定しないなぁ」と思った経験はないだろうか。
これは、実は毎回別の品種を食べている可能性が高い。


今自分が食べているみかんがなんという品種(日南1号、宮川、日のあけぼの、青島、十万、今村、寿太郎、小原紅、ゆら等々……)なのかを意識している人は、仕事で関わっているか、よほどのみかん好きに限られるだろう。
全部を覚える必要はないが、自分好みの味の品種だけでも覚えておくと人生がちょっぴり豊かになると思う。



これはみかんに限らず、ビワやスイカ、マンゴー、キウイ、イチジクなども実は「品種」によって味が別次元で違うため、意識してみるといいかもしれない。
特に珍しくて美味な品種は、道の駅などの産地直売所にて季節限定でお目にかかることができるだろう。



もちろん、りんごの「ふじ」「王林」、なしの「二十世紀」「豊水」、ぶどうの「巨峰」「シャインマスカット」やメロンの「マスクメロン」「アンデスメロン」のように、品種名とブランド名が一致している果物の例もたくさんある。


我々日本人にとって「品種を重要視するフルーツ」と「そうでないフルーツ」がどうしてはっきり分かれているのか、これは個人的にかなり大きなミステリーだったりする。
いつか解き明かしてみたいものだ。













ずいぶん脱線してしまった。
話を元に戻そう。




さて、直売所で龍の瞳を購入した際、スタッフの方から美味しい炊き方を教えてもらった。
普通のお米とは炊き方が違うので、ちょっと気をつけなくてはいけないそうだ。

と言っても難しいことはない。
むしろ普通のお米よりも圧倒的に簡単だ。


一般的なお米では何度かよく水洗いした(研いだ)後に数十分吸水させるが、龍の瞳は吸水性が高いために水を吸わせてはいけない
研いでもいけない。
軽く洗ったあと水を替えて、すぐに炊き始めるのがポイントらしい。


それって、キャンプにも最高の米じゃないか!
しかも、もちもち成分のおかげで冷めても水分が抜けにくく、パサパサになりづらいという。
ますますキャンプ向きだ!




……とはいえ、今回の旅では荷物を最低限に減らしたため、残念ながら調理器具が無い。
旅が終わってから、教わったやり方で食べてみよう。











約2年後。



実はこのお米、2022年に買ったまま、なんとなく食べるのがもったいなくてずっと保管してあった。
さすがに収穫から2年半、精米から一年半もたっていると本来の味よりだいぶ落ちているのかもしれないが、最近キャンプ用に飯ごうメスティンを買ったので、これを機に炊いてみた。



レシピ通り、水で洗ってすぐに炊いた。
火に掛けてからわずか30分に満たない時間で、ふっくらもっちり表面つやつやに仕上がった。


味の感想は……
ふむふむなるほど、美味しい。

口当たりがよいというか、ちょうど良い弾力が噛んでいて楽しい。
二年も前の古いお米だなんて全く思えないくらい瑞々しくて、間違いなく美味しい。



とはいえ……
食べた瞬間に感動が突き上げてくる、というようなことはない。

最初の何口かは「確かに美味しいけど、普段食べてるお米と比べて、そこまで大きな違いもないような?」と感じた。



が、「違い」は「その後」わかってきた。


食べ続けていると、ふとおかずが全然減っていないことに気付く。
おかずなしでついついお米を味わいたいほどお米が美味しい

それでいつの間にか米ばかり食べてしまっていたのだ。

噛めば噛むほど美味しく、食べ続けても飽きない。
確かにこれは、人気になるのも分かる。




今まで食べたお米の中で何に近いかと言えば、滋賀県に、滋賀羽二重はぶたえもちという品種のもち米があるけど、それをもちとしてではなくご飯として炊いたとき、近い感覚があった気がする。

そのときも、おかずを食べずについついご飯ばかり食べてしまった。


もちろん口当たりや香りなど違う部分も多い。
龍の瞳は強いもちもち感はあるけど、もち米ほどの強烈な粘りはない。

全体として、お米の美味しさともち米の美味しさの良いトコどりしてさらに洗練させたような、そんな印象を抱いた。


最初に書いたように、今回の食レポは一年半放置した上でこの感想なので、採れたて・精米したてだとまた別の感動があるかもしれない。

次飛騨に行くことがあれば、また買って、キャンプで試してみよう。








下呂温泉

龍の瞳直売所を後にする。
下呂温泉へ向かう途中、道路案内に「厳立がんだて」の字が見えた。



風雨来記4作中では繰り返し訪れることで渓谷、円空伝説、湿原や滝など様々な顔を見せてくれたスポットだ。
日陽さんや、直接の描写はないが真鶴ちゃんも訪れた場所になる。



立ち寄りたい気持ちもあったが、この後また雨が降ってくるという予報だったので、悩んだ末に今回はぐっと我慢して下呂温泉へ向かうことを優先した。

はやく下呂へ着いて、ゆっくり温泉を満喫しよう……。









というわけで、まもなく下呂の市街に入ってきた。
「温泉」のイメージが強い下呂だが、温泉街観光のブロックと市街地日常のブロックがはっきり分かれている感じがした。
温泉街から少し離れると、ごく普通の市街地が広がっている。


また、土地がかなり「細長い」。
飛騨川が山を削ってできたわずかな谷間(一番広いところでも幅500メートルくらいだろう)に細長く伸びた町並み。

圧迫感はなく、むしろ高すぎず低すぎない、たくましい山々に左右を包まれてほっとする風景だ。



そんなことを考えながら駐車場を探して走っていると、また大粒の雨が降り出してきた。
けっこうな勢いで、せっかく乾いていた服や荷物がまたびしょぬれになっていく。






うぁぁ……

心の悲鳴がもれる。


直後、「あ!」








「あ、ここ風雨来記4で(何百回も)通ったところだ!」
と、雨で落ちたテンションが急に上がる。

我ながらゲンキンだなぁ。








強い雨は十五分ほど続いたあとに唐突に勢いを失い、かさがいらない程度の霧雨に変わった。

やれやれ。



ありがたいことに下呂温泉の中心街には無料の公営二輪駐輪場があったので、バイクをそこに停めて早速温泉街へと繰り出した。





広い! (温泉から)近い! 超ありがたい…!



街の土地勘が全然ないけれど、さっき走行中に見えた橋に目星をつけていた。

あれがきっと下呂大橋だろう。
風雨来記4で得た知識によれば、その手前と向こう側が温泉街になっているはずだ。

まずはそこを目指して歩き出してみよう。







まさに風雨来記4で見たそのままの風景だ。
ゲームしている時はあまり意識しなかったけど、こうしてみるとすごく特長的に見える。

並木に赤い路面、奥に連なる山々と温泉ホテル群、そして橋。
THE温泉街、という風情がたっぷりだ。



道の脇には風雨来記4作中で、主人公が堪能していた手湯がある。






自分も少し、手をあたためていこう。





あたたか……いや、アツい。
でも、耐えられない熱さじゃない。

雨で少し冷えていた体までぽかぽかあたたまってくるようだ。


ずっとこうしていたい気持ちもあるけど、やはり早く全身で温泉を楽しみたい気持ちが盛り上がってくる。
ほどほどで切り上げて先へ進もう。





橋の横から、川沿いに出られる道がある。
ちありさんと再会した、河川敷の噴泉池に続く道だ。

橋の下をくぐって、まずはそちらを目指してみる。






なるほど、こうやって河川敷にでるのか!
なんだか面白い道の構成だ。
まるでゲームの隠し通路のよう。


噴泉池は下呂温泉の案内パンフレットや観光ガイドでも普通に載っていて、結構アピールされているように思ったけれど、この(良い意味での)微妙なアクセスの悪さ……


明確に「観光ルート」に組み込まれているという感じでもないようだ。
たぶん一般的な観光客の多くは、ここを訪れずに、そもそも存在すら意識せずに下呂温泉を満喫して帰っていくことだろう。






この場所にある噴泉池は、2021年夏発売の風雨来記4作中では水着着用の温泉だったが、同年年末から入浴禁止となり今は足湯専用になっている


直接の理由は「水着着用など決められたルールを守らずに入る人が絶えず、地域住民からの苦情が増えたため」だそうだ。


それは……残念だけど、まあ仕方ないな、と思う。
常識やマナー、ルールは時代とともに移り変わるものだ。


かつては逆に、「水着入浴禁止」だった時代もあったそうな。

確かに、昭和から平成初期の頃の温泉文化では「温泉に水着で入るなんてとんでもない」「風呂は裸で入るもの」という価値観があった気がする。

噴泉池も、そうした公衆露天風呂のひとつだったのだろう。



当時、「全裸かつ全方位から目立つ場所」となれば、よっぽど温泉好きしかチャレンジしなかっただろう。
そういう人たちからすれば、いかにもお客さん向けの「分かりやすく行きやすいルート」なんてなくても問題ない。

むしろ、今日の自分が、橋の下のトンネルをくぐってちょっとワクワクしたみたいに、この道中によって「知る人ぞ知る温泉」への気持ちが盛り上がったに違いない。






ああ……!

リリさんとの思い出の場所だ。
ゲームの中で何度この場所を訪れ、何度リリさんとお話しただろう。






いつもながら、不思議な感じだ。
はじめて来る場所なのにすでに思い出……いや、「思い入れ」か?、それがたくさんある。

そしてそんなフィクションの思い入れは、自分が実際に訪れたこの瞬間からの「実体験」と入り交じって更新保存され、あっという間に境界線が曖昧になる。



どこからどこまでがフィクションの思い入れ憧れで、どこからどこまでが実体験の感動なのか。
自分でももう分からない。








脇には入浴禁止と書かれた大きな看板。

そして、湯船のかたわらにはぼこぼこと湯煙を上げながらものすごい勢いで湯が噴出している!







リリさんが「はわわわー」とおかしな声を上げたのもうなずける。
聞いていたより、これは確かに「ほんとに温泉」だ。







湯船もかなり大きい。
一度に三、四十人は入れそうだ。


しかし……湯に手をつけてみると、めっちゃくちゃ熱い!

違うとは思うけど、もしかしたら「絶対入浴なんてさせない」ために意図的に熱くしてるんじゃないかとさえ勘ぐってしまうくらいの熱さ。
足どころか、手を数秒つけただけで耐えられないレベル。

温泉というか、熱湯だこれは。


だからだろうか。
誰一人足湯としてさえ利用していなかった。



どうも、湯の熱さは季節や時間帯にもよるらしい。
少し時間をずらして後でまた来てみようかな。





目の前の飛騨川で、火照った手と足を冷やす。
冷たくて心地良い。

もし入浴OKだった時代に来られたなら、噴泉池と水風呂(飛騨川)、代わる代わるじっくり堪能できて、きっと最高だったろうな。












一旦噴泉池を後にし、橋を渡って、温泉街の方へ移動する。







空がすごく重そうだ。
今にも雨粒がこぼれ落ちてきそう。

よく耐えてるなぁ、という感じ。

もうちょっと保ってほしい。







さきほどまでの雨のせいか、まだまだコロナ禍の影響も大きいのか、出歩いている人通りはそれほど多くはなかった。






それでも、お土産物屋さんには若いカップルを中心に大勢の客が詰めかけていてにぎやかだった。

温泉街は、やっぱり人で賑わっている方がいいな。
行き交う人も含めての「温泉地風景」だと思う。

風雨来記4で見たあのポスターだ。まだまだ現役だった。







なんとなく散策を続けていく中で、「下呂温泉発祥の寺・温泉寺」という看板に興味を惹かれてそちらを目指してみる。








あ、ここって風雨来記4で子猫が飛び出してきたところか。
つい今日も子猫がいないかきょろきょろしながら、傾斜の緩やかな階段を登っていく。

振り返ると、温泉街を一望できるなかなかの絶景だ。








本堂で手を合わせたあと、境内を少し歩いてみた。






ここもやはり飛騨の山間部だ、ということを思い出す。
温泉だけじゃなく豊富に水が湧き出している。






また雨が降り始めた。
空は明るいから、これは通り雨だろう。







雨で濡れたお地蔵様を、雲間から漏れた日差しがきらきらと照らす。
身に纏う苔、周囲の草の緑と、赤い帽子が鮮やかに映える。


雨の日に訪れたからこそ出会えた、一瞬の風景だ。
思わず手を合わせて拝んでしまう。







ここのお寺が「下呂温泉発祥」と呼ばれる理由が、看板に書かれている。
下呂温泉は平安時代の900年頃発見されたらしいが、元々は今のような川辺の湯ではなく、ここから東にある山の頂上付近に湧いていた「山岳温泉地」だった。



それが、1265年に突然温泉の湧出が止まってしまった。
そしてその翌年、益田川(現在は飛騨川と呼ばれている)の河原のいつも同じ場所に白鷺が一羽いることに気付いた村人がそこに行ってみると、なんと温泉が湧いていたという。



さらに、白鷺はそこから飛んで、近くの山の中腹にある松に止まった。
村人がさらにそこへ行ってみると、松の下に光り輝く薬師如来像があった。

この薬師如来像をまつっているのが、この温泉寺だそうだ。
とはいえ、温泉寺の建立は、1671年と温泉発見からかなり後年になってかららしい。



白鷺がいるところに行ったら温泉があった、までは実際にありそうだけど、その白鷺を追いかけて行ったら仏像があった、というのは別の時代の別の出来事をアレンジして後から付け加えたという感じもする。

何にせよこの数百年、このお寺が温泉の象徴として、この高台から温泉街を見守ってきたのは確かだ。



温泉寺の麓付近には、白鷺の名を冠した足湯もある







旅で結ばれた縁は…

「河原に温泉が湧いていたことが現在の下呂温泉の発祥」だというなら、まさに噴泉池はその名残のような存在だな。
ますます入浴できなくなったのが残念だけど、やっぱり頑張って足だけでも入っていこう。

さっき相当熱かったからなー。
一時間ちょっとたったし、少しは適温になっていることを期待してもいいだろうか。


ということで再び噴泉池にやってくる。







…………

…………

…………あっっっっっつ!


無理だ!
これは絶対無理!
50度以上あるだろこれ。

さっきから結構な人数が入れ替わり立ち替わりで足湯目当てでやってきてるけど、みんな手をつけたきりそっと帰っていくし!







でも、せっかく来たんだ……思い出のためにも、せめて数秒くらい、なんとか我慢して……

足を熱さに慣らそうと、一瞬つけたり出したりを地道に繰り返していると、居合わせた家族連れのお父さんが「写真を撮りましょうか」と声をかけてくれた。

せっかくなのでお願いすることにしてスマホを渡し、思い切って噴泉池の湯船にしっかり足を浸した。




……三秒が限界だった!


「アツ! うあああああっ あっっっっっっっつ!」






真っ赤になった足を空気にさらしながら、スマホを受け取りがてら少しその男性と世間話をする。


彼と奥さんと小学生くらいの娘さん、三人家族だそうで、今日は家族旅行で下呂温泉へ訪れたそうだ。
さきほど街中で自分がバイクで走っているところを見かけたとのことで、それで声をかけてくれたという。
彼と奥さんは北海道でツーリング中出会ったのが縁で結婚した、根っからの旅人なのだそうだ。



なんでも、結婚の際には、周囲からけっこう反対されたらしい。
旅先の恋は長続きしない、という一般論?がまだまだ根強く残っているようだ。

これはたぶん、「旅先で出会った人と結婚」と聞いたときに聞いた方がついつい「非現実の中での出会いで恋が盛り上がって勢いだけで」という思い込みを抱くからだろう。

実際は、旅先で出会ったからと言って、勢いだけでそのまま結婚するなんてケースは滅多にない。




そういえば、自分の親族や友人、知り合いには「旅先で出会って結果的に結婚した夫婦」がけっこう多いけど、離婚した人はいない。


たとえば、自分の従姉も北海道でツーリング中に知り合った相手と結婚して二人して北海道に移住、もう30年たつ。


カップル二人旅で自転車日本一周して、ゴール後結婚した旅仲間もいる。


近所に住んでいるおじいさんは、どこにでもいる元気なおっちゃんという感じだけど、話を聞けば旅先で知り合った奥さんと大恋愛の末に結婚して添い遂げている。


「一時的な恋愛」に関してはともかく、「結婚」については、どうやって出会ったかは正直関係ないんじゃないだろうかと思う。
そもそも、現代日本は年間60万組が結婚し、20万組が離婚する世の中なのだ。


むしろ、「普通ではない」出会いを経て結婚した夫婦の方が、実は長続きする確率が高いんじゃないか、とさえ思う。

仮説だが、出会いが「普通」とは違うからこそ、親族や友人への説明や説得も含めて、「結婚した後うまくやっていけるか」二人で真剣に向き合う機会が「普通」よりも増えるんじゃないだろうか。



とはいえ、結局のところは「人による」「事情による」「巡り合わせにもよる」ものだ。
「○○だから長続きしない」というレッテル自体が、今の時代ナンセンスだと自分は思う。



噴泉池のかたわらで、「旅」と「家族」について語るお父さん。
その話をそばでじっと聞いている娘さん。
そんな様子を奥さんが楽しそうに眺めている。

良いご家族だ。
見ているだけでこちらも幸せな気分になってくる。



ちょっぴり残念なのが、今日の噴泉池の温度が高すぎたこと。
もうちょっと温度が低かったら、この三人も家族で楽しめて思い出にもなっただろうに。


さっきの自分の情けない様子(と真っ赤になった脚)を見てたら、今日は絶対入ろうとは思えないだろうな。


何はともあれ、良い家族旅行になりますように。





夜の下呂温泉を歩く



風雨来記4でも登場していた、白鷺乃湯にやってきた。
西洋風の建物が、伝統のある古き良き浴場という風情があってすてきだ。

時刻はすでに20時をまわっていた。
入浴受付は20時半までらしい。
なんとか間に合ってよかった。

入浴料430円を払って、いざ、念願の温泉へ――――!









はぁ…………最高だった……!

硫黄臭の強く、濃厚な、「これぞ温泉!」という感じの王道的な温泉。
ちょっと熱めの湯加減なのも、登山とライディングで疲れた身体に心地よかった。

泉質も本当にすばらしくて、肌がびっくりするくらい、つるつるすべすべになってしまった。

しかも、自分が入ったときは他にお客さんがいなくて独り占め。
最高にぜいたくな時間を過ごすことができた。









白鷺乃湯から出て温泉街を歩く。
時刻も21時をまわると商店も閉まって人通りも少なくなり、昼間とはまた違った、少しものさびしいような、落ち着いた雰囲気を味わえる。


リリさんはあの夏、下呂の旅館に泊まっていた。
こんな場所も、歩いただろうか。














今日はこのあともう少しだけバイクで走って、川沿いに野営地を探すつもりだ。
駐輪場へ向かう途中、もう一度だけ噴泉池に立ち寄ることにした。






ああ、良い雰囲気だなぁ。
入浴禁止になってしまったのがほんとうに残念だ。

いつか、何年、何十年か先、またルールが見直されて、時間や予約など条件付きで入浴できるようになる日が来るだろうか。
そうなったら真っ先に入りにこよう。


今日は最後に、この、手をつけるだけでも耐えきれないほどめちゃくちゃ熱いお湯で顔を洗って、気合いを入れていこう――







明日はいよいよ東濃に入る。
この旅も佳境だ。


まずは朝、付知峡。
順調に進めれば昼過ぎには、馬籠まで行けるだろう。
(予定通り進めた試しはないんだけども)


天気予報は相も変わらず「雨マーク」が続いているけれど、今日の様に短時間でも晴れ間がのぞくかもしれない。
雨ならではの心震える景色と出会えることだってある。

一瞬一瞬を大切に、旅の時間を過ごしていこう。



無料駐輪場の真ん前にある、24時間営業(超ありがたい!)のデイリーヤマザキで夕ご飯と飲料を買い込んで――――

よーし、出発だ。





つづく。






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