山の麓に沿って伸びる道を南へ走ると、すぐに伊奈波神社の看板が見えてきた。
そちらへ進路を取ると、住宅街からさっと視界が開けて、幅の広い石畳の坂道に差し掛かった。
その先には、やはり広い境内が山の中腹まで続いている。
思った以上に立派な神社だ。
神仏習合時代の名残の山門がそびえている。
境内の広さだけではなく、高低差もすごい。
市街地から急激に、かつ広い坂になっている参道の上に、半ば山と合体するようなかたちで大きな宮がたたずんでいる。
振り返ると遠くに市街地が望めた。
伊奈波神社については以前の記事で書いたが、英雄譚で有名なヤマトタケルや伊勢神宮を建てたヤマトヒメの、父親の兄つまりおじさんにあたる五十瓊敷入彦命(『たくさんの<瓊>を敷き詰めた神』の意)を祭神として祀っている。
半分神話として語られる存在だが、もし実在したとすれば時代的には、弥生時代後半から古墳時代前半あたりで活躍したことになる。
「瓊」=玉。宝石のように美しい。
日本神話では「豊かな穀物」の意味で使われる
伊奈波=稲葉、という地名と合わせて考えると、この土地に「多くの穀物の実りをもたらした神様」という意味になるだろうか。
考古学的にも、稲葉山周辺は弥生時代前後の複数の集落跡や王墓が発見されているため、神話と何らかのつながりがあるのかもしれない。
……が、このあたりについては以前にたくさん語ったので、今回は軽く流そう。
この伊奈波神社は元々もっと岐阜城に近い山の中にあったらしく、斉藤道三が稲葉山城(現在の岐阜城)を建てる際に現在地へ移動させたのだそうだ。
神仏習合の空気が今も残る、風格のある神社だった。
そして、そんな伊奈波神社の祭神の「子供」に当たるのが、次に訪れる橿森神社の神様になる。
伊奈波神社から橿森神社はバイクで五分とかからないほどの距離だった。
地図を見ずとも、電柱などに表示されている地名「若宮町」で「ああこのあたりなのかな」と見て取れた。
若宮という語は、神社関連においていくつかの意味で使われる。
・なんらかの神の子供や子孫をさす場合
・鬼=童子を指す場合
・その地域に元からいた神様を指す場合(「土地が若かった時代の神」の意)
など。
この場所での若宮はそのまま、「伊奈波神社(父)に対しての若宮(子)」、橿森神社のことだろう。
バイクの速度を落として周囲の様子を眺めていると、
ついに橿森神社に到着した。
思わず立ち止まって、深呼吸してしまう。
時刻は17時半、空は茜色、太陽は沈みかけているけど、まだまだ明るかった。
早速神様にお参りする。
ここまで無事にたどり着けたことに感謝して。
手を合わせてひとしきりお礼を伝えると、一息ついてあたりを少し歩いてみる。
…………あぁ、いいなぁ。
周囲に、柵やしきりがなくて開放感があるというか。
「市民の憩いの場である公園」と「神域である神社」の境内の境界がない。
いや、もちろん厳密にはあるのだろうが、視覚的にそれが一目でわからない。
ふつうは柵をたてて明確に区切っているものだ。
でもここは、歩いているといつの間にか神社から公園に入っている。
あるいは逆も然りだ。
そのせいなのだろうか。
親しみやすいというか、馴染みやすいというか、ほっとするというか。
普通の、一般的な神社に入った時のような「ぴんと張り詰めた神域の空気」とは少し違う、安らぐような空気を感じる。
あの日リリさんと腰掛けていたこの場所は、おそらく「粕森公園」になるんだろう。
少し先には神社のご神木がたっていて、このご神木が神社との境なのかもしれない。
こちらは木の向こう側、神域。
太鼓橋。
この橋もまた、「神様の世界」と「日常」を隔てる「境」だ。
…………
風が強くて、涼しい。
清々しい、最高に良い天気だ。
ああ、来てよかった。
出かけてよかった。
と思う。
昨日の晩の自分と、今日の朝の自分に感謝する。
よく出かける事を決意した。
よく早起きした。
よくやった。
次の旅は、もう少しスケールアップしたかたちで。
一か月後、10日間かけてあらためて存分に岐阜を巡ろう。
だからひとまず今回はここまで。
バイクを帰路に向けてスタートさせた。
たまたま途中で見つけた金の鳥居――
橿森神社の「お母さん」、金神社に立ち寄ったり。
お土産に「鶏ちゃん」を買ったり――
黄昏の空に見つけた、「リリ」の文字に大感動したりしながら、家路についたのだった。
途中温泉に寄って休憩したり夜食をとったりしたので、結局帰宅したのは日が変わって午前3時。
出発が前日6時だったから、21時間ほどの旅だったことになる。
24時間には満たない、けれどものすごーーーーく濃密な一日だった。
いつもは無理でもたまにはこんな一日があると、人生は幸せだと心の底から思った。
以上。
次の旅に続く。
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