「日本のまん真ん中」
美濃の洲原神社から30分ほどバイクを走らせたところで、郡上市街に到着した。
道路から城が見える。
あれが郡上八幡城だろうか。
須原からここに至る途中、道路沿いに「日本まん真ん中の駅」という看板が目に入った。
日暮れが迫っていたため今回はスルーしてしまったのが今思えばちょっと残念だ。
調べると、「八坂駅」という長良川鉄道の駅だったようだ。
「日本の真ん中」の定義はいろいろあるけれど、ここで掲げられる「日本真ん中」とは「重心地」のこと。
日本人全てを同じ体重と仮定したとき、日本の人口を天秤で計って東西南北の重さがぴったり釣り合う支点=真ん中を指す。
――ということが風雨来記4作中で語られていた。
八坂駅から数キロ南東にある、関市の「中之保公園」がそれだ。
「キミの知らない、日本の真ん中へ」というキャッチフレーズを「直接的に」回収するスポット
昔は、八坂駅(郡上市)あたりが看板通り「日本の人口のまん真ん中」だった時期もあったが、これも風雨来記4作中で説明があった通り首都圏近辺に人口が集中し続けているために年々「重心地」が南東へ南東へ移動している。
令和2年調査版で、重心地はすでに中之保公園からも外れてしまっていて、次回の調査ではおそらく関市からさらに隣の七宗町に移ると言われている。
調べれば調べるほどに立ち寄っておけば良かったなぁ、と少し残念に思う反面、そちらを探訪していたら途中でおそらく日が完全に暮れてしまっていただろう。
「日本の真ん中」にはまた次の機会に訪れることにしよう。
おそらくあと数年は変わらないはずだ。
郡上八幡にて
というわけで、郡上八幡到着。
長良川沿いにバイクを停めて、あたりを散策することにする。
夏至に比べれば短くなってきたとはいえ日はなお長く、あたりはまだまだ明るい。
さらに先に進むか、今日はここまでにするか。
考えながら周囲を歩いた。
長良川。
同じ川でも須原のあたりの曲がりくねった感じとは周囲の様相が大きく異なり、川幅が広く、巨大な岩が川の中にたくさん転がっている。
なんでもないような川岸からも、結構な量の水が流れ込んでいた。
滝のような轟音が耳に心地いい。
鮎釣りしている人の姿が十人以上見える。
明日以降は降水続きでしばらく川が荒れそうな予報。
釣りにも影響あるのだろうか。
河原に泊まったバイクの横にもテントも見えた。
こちらは旅人のそれっぽい。
きょろきょろ見回しながら歩いていると、川からすぐのところに、駅が見えてくる。
郡上八幡駅。
近くにある役所は「郡上市役所」だった。
どうも、「郡上市」とか「八幡」とか「郡上八幡」とか「奥美濃」とか、この町については表記が色々ある。
どう使い分けられているのだろうと気になったのでこの機会に調べてみた。
「郡上」→この地域一帯の古代(855年)からの呼び名。
由来は「美濃国武儀郡の(地図で見て)上にある土地」から。
「八幡」→戦国時代に京都から勧請された「小野八幡神社」が由来。
以降、この町の通称が「八幡」になり、「郡上」と平行して使われる。
(郡上藩=八幡藩 郡上城=八幡城)
「郡上八幡」→戦国時代以降長く使われている通称。
「奥美濃」→郡上の別名
「八幡町」→明治時代に「郡上郡八幡町」発足
他町村を合併吸収しつつ、2004年まで存続
「郡上市」→2004年に八幡町を中心に7町村が合併して誕生
つまり……「郡上」でも「八幡」でも「郡上八幡」でも正解。
「郡上市」と呼ぶときだけは、範囲が大きく広がるのでちょっと気をつけよう……って感じだろうか。
駅前で、地元の人に声をかけられてしばし談笑した。
京都から走ってきました。明日から大雨らしいっすねぇ。
話のついでに郡上八幡城への行き方を聞くと、詳しく教えてくれた。
ここから歩いて十五分ほどだそうだ。
時間的に登れるか分からないけど、行けるところまで行ってみよう。
別れ際、「今日は郡上おどりが行われる」と言うことを聞く。
「郡上おどり」は、7~9月の夜に30日以上かけて開かれる盆踊りイベントだ。
特に、お盆の四日間行われる「徹夜踊り」は、全国から集まった踊り手たち数万人が、夜を通して明け方までひたすら踊り続ける有名なお祭り。
かつて一度、友人と旅行で郡上を通りがかった際にこの徹夜踊りに参加したことがある。
朝の五時まで踊り明かしたそのときの記憶は結構昔のことなので曖昧だが、「無心になってひたすら踊った、すごく楽しかった」ということだけははっきり覚えている。
「郡上おどり」は自粛の関係で前年、前々年と開催されていなかったのが、2022年から縮小版という形で再開するのだとか。
そしてその中でも目玉となる「徹夜踊り」の初日、それが今日この日、ということらしい。
これも何かの縁かなぁ。
よし、決めた。
今日は夜まで郡上八幡の町をじっくり見て回ることにする。
まずは、お城へ行こう!
郡上八幡城は遠くからでもすぐに分かった。
ものすごく目立つところにある。
日が暮れるまでにたどり着けるだろうか。
心持ち急ぎながらも、町並みを眺め時々立ち止まりながら進んでいく。
夕暮れ時の郡上八幡の街並みは非常に情緒があった。
「奥美濃の小京都」とも呼ばれているそうだが、正直町の中心部の景観だけを見れば、京都よりもここ郡上の方が古都っぽい印象がある。
京都はマクロ(全体的)に見ると間違いなく古都なのだが、ミクロな視点で見たとき、町自体が古い景観をそのまま残している場所って、実はかなり少ないのだ。
それは、京都が古都である以前に、まず大人口を抱える「都市」なのが理由だと思う。
古い建物や景観を残すという価値観が生まれたのは比較的最近の話。
けれど、都市としての京都は現在進行形でずっと変化し続けてきたから。
もちろん、寺や神社など局所的には古い姿を今に残す場所も多いのだが、庶民が暮らす場である町並みに関しては、時代毎の流行・新しい建築技術の取り入れ、火事や天災・戦による被害などによって近代まで更新され続けたおかげで、江戸時代以前の古い姿のままで「町並み」が残っているところはほとんどなかったりするのだ。
そんな、感動してしまうくらいの良い感じの郡上の町並みだが、それ以上にこの町で強烈に感じたのは、「水」の存在感だ。
歩いていると、あちこちで水音が聞こえる。
ちょろちょろした湧き水もあるし、ドドドドという強い勢いの水音が民家の隙間から響いていたりする。
町のそこここに湧水を利用した水場があったりして、ちょっとしたせせらぎになっているところでは浴衣姿の観光客たちが足を浸して水遊びしていた。
京都にも高瀬川とか伏見とか蹴上とか貴船とか……「古都の風情と水の調和」を感じられる景観はあるにはあるんだけど、京都のそれを「静の調和」とするなら、郡上八幡のは「動の調和」だ。
感覚的にだけど、そこに流れている水自体の勢い、パワーがすさまじい。
長良川の上流でもあるし、複数の川の合流地点でもあって周囲を川で囲まれている上に、周辺の高く深い山々に降った雨が地下から溢れ出している。
そう、ここの水は「流れている」というより。
「湧き」「溢れている」。
そんな表現がしっくりくる。
「古都の景観の引き立て役」ではなく、ここでは「水がもうひとつの主役」というくらい、町の中で存在感を放っている。そう感じた。
美しい湧き水に神性が含まれるとするなら、そんな水で溢れるこの町自体がひとつのパワースポットと言えるのかもしれない。
それくらい水の印象が強い場所だった。
城を目指して、吉田川にかかる橋を渡る。
町を二分するように中央を流れるこの川は、長良川の支流としては最大だそうだ。
郡上八幡城が近づいてきた。
郡上八幡城
ここは風雨来記4に数多く出てくる「城跡」の中でも、特に訪れたいと思った場所だった。
天守閣自体は、昭和3年に再建されたものでそこまで古くない。
ただ、そこに至った経緯……大垣城との「関係性」が面白く感じたのだ。
明治3年、廃城令を機に郡上八幡城の天守が取り壊される。
一方、大垣城の天守は破壊を免れ、後に国宝に指定される。
昭和3年、大垣城天守を参考にして、郡上八幡城天守を木造で再建する。
昭和20年、大垣城天守が空襲で焼失。
昭和34年、郡上八幡城天守を参考にして、大垣城天守を鉄筋で再建する。
本物を模したレプリカが、本物がこの世から失われたことで、本物となる……なんだかストーリーを感じる。
絶滅したと言われていた秋田・田沢湖のクニマスが、実は山梨の西湖に放流されていたために再発見されたのと似ているかもしれない。
そんな郡上八幡城を目指して。
いざ、登城開始。
「最短ルート」を選んだ。
勾配は急だが、10分程度で登城できるようだ。
案内板の通りに、民家の合間を縫うような細い路地を通り抜けつつ、早足で先に進んだ。
「距離」じゃなく「歩数」で城までの道程を示してくれているのが面白い。
はたして、10分とたたずに城跡まで上がってくることができた。
振り返ると、
日は沈んで、郡上八幡の街並みがゆっくりと藍色に沈んでいた。
町明かりのオレンジ色があたたかく感じる。
いつもなら帰宅して、ゆっくりしているくらいの時間帯。
朝まではいつもの日常の風景の中にいたのに、今はこんなに遠い場所にいる。
不思議な達成感に、背中のあたりがじわじわと震える気がした。
羽を伸ばす、ってきっとこんな感じだろう。
楽しいな……楽しい。
ずっと忘れてた感覚。
やっぱり、旅って楽しいぞ。
日が暮れるまでのわずかな時間、青く沈んでいくお城を眺めて過ごした。
郡上の夜と宗祇水と
暗くなりきる前に城から降り、あらためてのんびりと、街並みを観光することにした。
なんだあれ?!――――どでかい提灯が空中に浮いて、揺れている!
実際はワイヤーか何かで吊ってあるのだが、暗闇の中にあかあかと光を放つ巨大な……人間十人くらい入れそうな巨大な提灯は、まるで宙に浮かんでるみたいだ。
ふと脇道を見ると、なんだかすごく良い雰囲気。
「史跡 宗祇水」の碑――――と、案内板と、灯籠と、大量の提灯が。
この先に絶対見て欲しいものがあるよ、と言われているみたいだ。
「日本百名水」の第一号。
どうも、それこそがここ、「宗祇水」らしい。
「第一号」と聞くとプレミアム感がすごいな。
ここも、風雨来記4作中で印象的だった場所だ。
単に綺麗な水が湧く場所というだけではなく、飲用兼生活用水として地域の住民の間で使われてきた「史跡」でもある。
今も現役で使われてるらしい。
宗祇水に限らず、この町を歩けば歩くほど思うのが、
本当にどこもかしこも、豊かな水で溢れている。
文字通りの「水の町」だ。
郡上おどり
町を一周したあとは、郡上おどりを見物した。
最初は、あらかじめ決められた団体によるコンクールが行われ、そのあとは、一般の人も自由に飛び入り参加できる徹夜踊りの時間。
――もちろん自分も参加した。
何も考えずに無心で踊る――――とはいかない。
まず振り付けがわからない。
そう複雑なものではないが、それでも手の動き、腕の動き、腰のひねりと重心移動、足さばきと同時にいくつもの動きを連動させるのがなかなかうまくいかない。
やっと慣れてきたかな、というところで次の曲、次の振り付けになる。
数種類の振り付けが順番に切り替わっていく感じだ。
むかし訪れたときに、一度は確かに振り付けをマスターしたはずだったのだが……
完全に忘れてしまっていた。
周囲にいる「うまい人」の動きをまねて、少しずつ、合わせていく。
感覚だけではなかなか覚えられないので、言語化していく。
『右手、左あし、左あし、左手、右にひねって、左あしで着地――』
ああ、コトバって記憶の補助として役に立つなぁ、なんてぼんやり思いながら踊りに集中して数時間。
時間があっと言う間に過ぎていった。
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ふと、そういえばリリさんもあの旅で、郡上を訪れたんだろうか、と思う。
風雨来記4全体の作中時期ははっきりとは分からない。
取材時期はどうも5~10月くらいらしい。
ちあり編についてはシバザクラがまだ少し咲き残っている時期かつ坂折棚田の稲がまだ若いことから、おそらく6月頃が舞台と考えるのが妥当だろう。
(その場合リリさんは半年どころか一ヶ月ほどで退社したことになる)
とはいえ6月とは明記されていないので、たとえばここでは8月と考えてみよう。
この場合、リリさんは8月10日頃に「モネの池」、8月15日頃に郡上市明宝にある「國田家の芝桜」、8月18日に「下呂温泉」というルートを辿ったことになる。
郡上の徹夜おどりの日程はだいたい8月13~16日。
郡上八幡は、「モネの池」と「國田家の芝桜」のほぼ中間地点だ。
タイミング的には訪れていてもおかしくはない。
いや、リリさんが8月にこの地域を旅していたなら、まず間違いなく立ち寄るんじゃないか。
リリさんはリリさんで自分の旅をしていた。
主人公からおすすめ観光情報を得つつ、自分でもあれこれ調べて各地を巡っている中で、この郡上八幡にも訪れて滞在した……そんなこともあるかもしれない。
浴衣を着て楽しそうに踊るリリさんがありありと想像できてしまう。
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2022年度の「徹夜おどり」は新型コロナウイルス感染症拡大防止対策の一環で、短めに調整されていた。
途中雨足が強くなってきたのでどうなるのかなと思いつつびしょ濡れになりながらも夢中で踊り続けた。
踊りで火照った体には雨が心地よいくらい。
きっと多くの人が同じ気持ちだったのだろう、祭りの最後まで大勢の踊り手の輪が途切れることはなかった。
やがて22時半、閉会を告げるアナウンスが流れる。
今日はたくさん走ったし、たくさん歩いたし、そしてたくさん踊った。
旅の初日としてはこれ以上ないほどの密度だったと思う。
心地よい疲労感が体中を包む。
真っ暗になった夜道を帰路につく。
びしょ濡れだが寒くはない。
とはいえずっとこのままで居るわけにはいかない。
さあ早く着替えて、寝て、明日に備えよう。
旅はまだ始まったばかりだ。
つづく。
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