「奇妙な再会(?)」 風雨来記4を追いかけて / 2024岐阜の旅・夏その2

2024岐阜の旅

去年夏、島根を10日間旅した最後に、こんなうさぎと出会った。

2023年8月19日 島根県立美術館





これは通称「宍道湖うさぎ」。


島根県松江市にある島根県立美術館外庭に展示されている12体のうさぎブロンズ像で、「前から二羽めのうさぎにシジミの貝殻を供えて出雲大社の方角を見ながらなでると良縁に恵まれる」という口コミで人気となったパワースポットだ。

訪れるひとがとても多いらしく、ウワサのうさぎの周辺だけ芝生がはげあがり、あたりには貝殻が無数に散乱していた。





それから一年の時を経た今回の岐阜の旅……
美濃赤坂で、思わぬ出会いがあった。









「なんでこのうさぎがここに……?!」






美濃赤坂




今回の岐阜旅では、最初に美濃赤坂を訪れた。
岐阜の西部、西濃にある町だ。
江戸時代には宿場町、その後は良質な石灰岩の産出地として、現在も石を運ぶ貨物列車が行き交っている。




訪れたとき、ちょうど石灰石専用の貨物列車が走っていくところが見られた。






コンテナ内には、この後訪れる予定のギフのピラミッド「金生山」から産出する石灰石が積載されていて、名古屋へと運ばれていく。

側面に、「矢橋工業株式会社」の文字とマークが見える。

風雨来記4作中で主人公が解説してくれた通り、矢橋家はこの地域の古くからの有力者一族(家系図が嵯峨天皇まで遡る)で、現代も矢橋工業を含めた多くのグループ企業を経営しているそうだ。














踏切から数百メートル北に進むと、美濃赤坂駅があった。
訪れると、ちょっと違和感を感じた。







なんか風雨来記4で見たのと違うな……。













なにが違うんだろう…………。

あ、そうか、トイレだ。
風雨来記4作中では、良い感じにレトロな駅舎という印象だけで、トイレは視界に入ってなかった。


ここからだとトイレどころか、中の便器まで目に入るからそっちの存在感に意識が向いてしまい、全体の印象が変わってしまったのかもしれない。



つまり、トイレが見えないように少し角度を変えて写真を撮ってみれば。







このくらいの「良いトコ切り撮り」は、風雨来記的にもまあ許容範囲だろう。






自動販売機で飲み物を買って少し休憩。
次は、徒歩で旧宿場町の方へ足を延ばしてみた。





赤坂宿の本陣跡。
本陣とは、将軍や江戸幕府関係者、大名などの特別えらい人専用の宿泊施設。


風雨来記4作中の時とは違って、ここは現在工事中だった。
近々リニューアルするようだ。







工事作業員の人によれば立ち入り禁止というわけではないそうなので、少し見学してみた。






和宮の碑があった。かなり大きく立派なものだ。


皇女和宮については、4作中では「琵琶峠」で触れられていた。
江戸から明治への転換期に、天皇の妹という立場から、第十四代将軍徳川家茂に嫁いだ女性だ。
その際、人類史上最大最長の花嫁行列が中山道を通っていった。







岐阜を巡ると、琵琶峠や大湫宿、馬籠宿など、ちょくちょく彼女の足跡と出会う。
碑の説明によれば、ここ赤坂宿の本陣にも、彼女が宿泊したのだそうだ。

皇女和宮のエピソードは、自分にとって、岐阜を舞台にする風雨来記4母里ちあり編について考えるときにとても重要なものだ。





作中ではどういう経緯でリリさんが結婚やお見合いに対する結論を出したかは語られていないけれど、岐阜を旅していたなら和宮の足跡に触れる機会もあったかもしれない。




和宮皇女は、天皇の娘として生まれ、幼い頃からの親が決めた許嫁がいたにも関わらず、いわば政略結婚の形で将軍と結婚した。
明治、大正の頃は、このエピソードは悲劇、悲恋の物語と大衆に語られたという。


一方で、同じエピソードでも、現代では全く逆の捉え方をされることも多い。


徳川の家に入ってから、和宮と家茂の仲は非常にむつまじかったと伝わっており、こちらが注目される傾向にあるのだ。
側室を持つことが当たり前だった当時、家茂が正室である和宮以外の女性をそばに置かなかった。

数年後、家茂は若くして病で亡くなってしまったが、彼女は「皇室に戻る」という選択もあったにもかかわらず徳川家に留まり、天璋院篤姫と協力してその後の江戸城無血開城にも大きく貢献した。
31歳という若さで亡くなった際も、皇族ではなく、徳川家の人間として増上寺(徳川家菩提寺)に埋葬されている。

昭和になってからその墓が発掘調査されることがあったらしい。
その際彼女のお墓からは一枚のガラス板が発見された。
それは写真で、家茂と思われる若い男性が写っていたが、外気に触れたことでその写真は数日のうちに色が抜けてしまったという。



とはいえ、どこまでが本当で、どこまでが伝承、想像、フィクションか。
実際のことは当時の本人たちにしか分からない。


ただ、全く違う環境へと飛び込んだ上で、その場所を自分の場所とし、役割を全うしたその逸話ストーリーは、今の時代においても励まされる強さがある。


今日ここで、偶然彼女の足跡と出会えたのは幸運だった。
今後もまた、岐阜を巡る中でその足跡を辿っていきたい。








ところで、風雨来記4をあらためて確認してみると、




現在は公園の中心に近いところにある和宮の碑が、当時は入り口横に建っていることに気づいた。
ゲームをプレイ中、この碑は目に入っていたけれど、なんの碑か分からなかった。
それを実際に訪れることで、期せずして知ることができたのだ。


こうした「変わるもの」「変わらないもの」に気づくのも、「風雨来記4を追いかけて」岐阜を旅する醍醐味のひとつだ。












そこから少し歩くと、矢橋家住宅がある。
国の登録有形文化財に指定された伝統的なお屋敷で、美濃赤坂宿の当時の空気を現代に伝えている――――と、このあたりの解説は、風雨来記4作中で詳しく語られていたけれど、実際訪れてみるとここだけなんだかタイムスリップしたような風景だ。






























奇妙な再会(?) 

すぐ向こうに金生山が見える。


あたりの道の雰囲気がよかったので、特に目的もなく散策してみる。
少し高いところにのぼると、金生山が見えた。
近いけど、歩いて行くには微妙に遠いかも。
中腹に駐車場があるらしいので、途中までバイクで行こうか。


そんなことを考えながら歩いていると、なんだか情緒のある小径に出た。






お茶屋というのは将軍家専用の宿泊施設で、ここにはかつて「徳川家康も泊まった」らしい。
今は往事の建物は残っていないそうだけど、少し覗いていこうかな……

気軽な気持ちで、足を踏み入れた。




奥へ進んでいくと「ぼたん園」があった。
季節によっては美しいのだろうが、今は草の緑がただただまぶしい。







頭を空っぽにしてのんびり歩いていると、――――唐突に「それ」を発見した。




「えっ…… これ、宍道湖うさぎ……なのか?」



約一年前、島根で出会ったうさぎたち。
頭数は違うものの、個体の造形はぱっと見、まったく同じに見える。

内側にくぼんだ目(ちょっとこわい)や、頭と胴体の間にスキマがあることなども一致している。

なんでここに宍道湖うさぎが?



美濃赤坂のうさぎ像
宍道湖うさぎ


似てるというレベルじゃなく、ブロンズの質感、造形のクオリティの高さまでぴったり一致。

もしかして……もしかすると、「宍道湖うさぎ」って「一点物のアート作品」ではなく、「量産オブジェ」なのか……?












調べてみると、その通りだった。
なんなら、宍道湖うさぎよりもここのうさぎの方が数年はやく設置されたものらしい。


このうさぎブロンズ像、「せんとくん」や「ぶんぶん童子」で有名な籔内佐斗司という彫刻家の販売作品だそうで、全国に数カ所、設置されているとのこと。
単なる量産品ではなく、一体一体に魂が込められ設置の仕方にもこだわられた美術作品で、その中で特にパワースポットとして有名になったのが「宍道湖うさぎ」――――というわけか。




岐阜には、籔内佐斗司氏の彫刻が多いらしい。

あ! そういえば2年前に岐阜駅前で見たのを思い出した……!!


たしか名前は……「楽市・楽座童子」!













しかしそれにしても――「日本全国で数カ所」にしかいないうさぎだ。
今日、自分がこのうさぎと偶然再会(?)する確率は、途方もなく低かったはず。


過去に、島根で宍道湖うさぎと出会った上で、美濃赤坂を訪れ、なんとなく道をいくつか曲がって、たまたま見つけたお茶屋屋敷に入って、何も咲いていないぼたん園をなんとなく一番奥まで歩いて……それでたまたま、このうさぎに気づくことができた。

これも、宍道湖うさぎの「縁結び」の力なのだろうか。




そもそも……リリさんと出会わなければ自分が岐阜や島根へ旅に出ることはなかった。
宍道湖うさぎに出会うこともなかったし、今日ここへ訪れることもなかった。

そう思えば、このうさぎとの奇妙な再会(?)も、リリさんが結んでくれた「ちょっと面白い旅の縁」といえるのかもしれないなぁ。
いつもありがとう。



コメント

タイトルとURLをコピーしました