自分が「風雨来記4」を好きな理由はたくさんあるけれど、その中で特にすばらしいと感じるもののひとつが、「旅先の土地の日常」の描き方だ。
岐阜市街でシャッターの目立つアーケードを巡ったり、多治見で40度超えを見守ったり、下芥見で廃駅にたたずみながらバスを眺めたり――
ふつう、旅行で岐阜を訪れる場合、多くの人はめいっぱい非日常の風景を求めるものだと思う。
白川郷とか、飛騨高山とか、馬籠宿とか、下呂温泉とか、付知峡とか…………
わざわざ旅先の「特別ではない日常の風景」を探訪スポットとしてとりあげるのは、「旅ゲー」風雨来記のこだわりと言える。
「その土地の日常」をとりあげる傾向自体は1の頃からあったけれど、過去作で舞台となった北海道や沖縄は、本州の人間にとってはその舞台自体が非日常で特別な土地なこともあって、
「これが日常なんてやっぱり北海道はスケールがでっかいな」
「これが日常なんてやっぱり沖縄は南国の島なんだな」
という印象になることが多かった。
一方4の舞台岐阜は日本の真ん中にあって、本州の人間にとっては陸続きで身近な土地、どこにでもある日本の原風景的な印象がある。
だからそこで描かれる日常も、自分達の日常と重ねて感じられやすい。
特に、日常の「空気感」の描き方が、風雨来記4はとてもすばらしいと思う。
スポットのチョイスや、自然体のテキストも良いし、中でも360度カメラで撮られた映像の存在感は大きいだろう。
普通カメラは撮る人が任意で風景を切り取るものだけど、360度カメラはその空間をまるごと写し撮る性質のものだ。
その場所がどういう場所か、周囲も含めて確認することで臨場感が増す。
絶景の場所であれば周囲も含めての絶景と感動することもある一方で、日常風景であれば、「周りも本当に普通の住宅街なんだなぁ」となんだかほっとした気分になったりもする。
こうした「日常」スポットは、それ自体は地味で目立たないかもしれない。
作中での読者からの記事評価も低いため、ゲームを繰り返しプレイする人でも、一度見たら次からはスルーするという人も多いかもしれない。
だけど、自分にとってはとても重要な要素だ。
そうした日常スポットがあるからこそ、景勝地や秘境などの非日常もまた引き立つのだし、日常が描かれるからこそ作品全体に「地に足がつく」というか、描かれる「旅」の説得力が増す。
たとえば、自分が愛してやまない「ちあり編」は、彼女と出会っている時間自体は岐阜の旅の間のごく一部だ。
けれど、彼女と出会っていない時間巡った場所、見聞きしたもの、考えたこと、それら積み上がった旅の足跡すべてを含めてひとつの旅ととらえれば、そのすべてがあってこその「ちあり編」だと自分は思っている。
中でも「日常」スポットは、ゲームの「フィクション」と「ノンフィクション」をつなぐ、とても大きなエッセンスだ。
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最初に訪れた場所
風雨来記4をはじめてプレイした際、最初に訪れたスポットを自分ははっきり覚えている。
ゲームの約一時間に渡るオープニングが終わり、いよいよ岐阜スタート。
バイクは走り出し、風景がどんどん後ろに流れていく。
右も左も分からない中で地図を確認しながら、とりあえず冒頭で出会った女性「日陽」さんが話していた「飛騨」を目指してみようかと東へ進路をとってみた。
そうして最初に差し掛かったスポットが忘れもしない、各務ヶ原「ねずみ小僧次郎吉の碑」だ。
はっきり覚えているくらい、思い入れは強い。
ずっと、いつか行ってみようと思っていた。
ところで、風雨来記4のメインテーマの曲名にもなっている、国道21号線。
西は滋賀県から東は岐阜県瑞浪市まで、岐阜を東西に横切る国道で、「中山道」を一部継承する道路でもある。
京都から岐阜へ入る場合、メインルートがこの21号線になるため、これまで何度か訪れた岐阜の旅でも毎回行きか帰り、あるいはその両方でこの21号線を利用してきた。
今回旅の前にねずみ小僧の碑の場所を調べてみたら、なんと国道21号線からほとんど離れておらず、以前の旅でも目と鼻の先を何度も通り過ぎていたことに気がついた。
確かに、よくよく考えてみれば、ねずみ小僧の碑が建っている理由は「そこにあった宿屋『いろは茶屋』の悪人主人を、たまたま居合わせたねずみ小僧次郎吉が退治した」という伝承があるためだったはず。
宿屋があるということは街道、つまり中山道沿いのはずで、それを考えれば国道21号から近いところにあるのは当たり前のことだった。
せっかくだから、今回の旅で訪れてみよう。
日常の中のありふれた非日常
21号線から一筋入り、綺麗に整備された大きな市民公園沿いの道に出た。
JRと名鉄、ふたつの線路が平行している。
このあたりのはずだ。
うだるような暑さの中、散策を開始する。
あたりはまったく、日常風景そのものという感じ。
休日の市民公園付近ということもあって、多くの家族連れの姿が目に付いた。
近くのグラウンドでは野球を練習していて大きな声が響いている。
作中で、「ねずみ小僧の碑」へ至る道については詳しく描写されていたので迷うことはなかった。
ちなみにこの道は「ねずみ小僧の碑」への専用道というわけではなく、駅からその裏側にある駐車場への通り抜け通路になっている。
なんというか、ちょっとした抜け道みたいな感じで、これまた日常感が強い。
入り口には鳥居があって、奥には石で作られた祠。
扁額には「神明神社」とある。
その右側の塚が、「ねずみ小僧次郎吉の碑」だろう。
神明神社へ旅の無事を感謝してから、隣の塚に近づいてみる。
3年ごしの初探訪になった。
あの日、この場所から自分の旅ははじまって、今に続いている。
長い長い旅。
これからも末永く続けていけるように日々一歩ずつでも、前に進み続けていこう。
それにしても、ここはまったく変わってないな。
風雨来記4の取材からだと5年くらいたってるだろうけど、まったくそのままだ。
この調子なら、何かの事情で無くならない限りは十年二十年でも変わらないかもしれない。
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滞在している間、ひっきりなしに電車が行き交っていた。
普段はわずらわしい踏切もいまばかりは、日常を感じさせてくれるエッセンスと感じられる。
陰影の濃い、真夏の昼下がり。
街中にあって、人の気配はあるけど、混み合っているわけではなく。
にぎやかだけど、うるさすぎず。
普段住み慣れた街から遠く離れた場所で、思わぬひとときを過ごしている。
旅は、非日常を楽しむもの。
そして「非日常」は、心持ち次第でときに日常の中にも見つけられる。
今回も、良い旅ができた。
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