■「風雨来記4」について書きます。特に母里ちあり編のネタバレ有り。
■「自分はこう考えたよ」という、個人的な感想・考察記録です。
■ 記事内で、ゲーム内のスクリーンショットを、権利元様を表記した上で引用しています。
■ 特に記載のないイラストは、投稿者(ねもと)による非公式の二次創作です。
前回も少し書いた通り、風雨来記4では、バイクツーリングモードを除いて、終始カメラの撮影位置(アイレベル)=主人公の頭の位置になっている。
イベントシーンで、座ったり腰をかがめたりすると、カメラの高さもそれに合わせて上下する。
そうすると、通常時とは、ヒロインと主人公の目線の位置が変わる。
以下に、図にしてみた。
通常立ち絵シーン
通常時、立ち絵の視点がこんな感じ。
主人公のほうが頭一つ分くらい?背が高い。
ベンチに並んで座るシーン
並んで座ると高低差が縮まる。
高さが縮まった分、物理的に距離が近づく。
距離が近いと、視覚的なドキドキ感がアップする。
さらに、それにともなって、「心の距離」も近くなる。
この構図は、旅や結婚の話、秘密を打ち明ける時など、互いの価値観を真剣に語り合う「会話シーン」で非常に効果的に働いていた。
並んで立つシーン
ちありの一周目エンドは、立ち止まってしまった彼女が、前へ進む主人公の背中を押す、というもの。
ちありは自分のこれからの道を自分自身の力で見つけるべく、けじめとしてお別れを決断する。
一度は互いの匂いや体温を感じるくらいにまで近づいた目線の高さは、また、離れて。
この視線の高低差は、前へ進み続ける主人公と、停滞し、少し出遅れてしまったちありとの距離でもあるのかもしれない。
だけどそれは、背伸びをすれば、頬に唇が届く距離。
リリはまだこれから、何にだってなれる。
最後の一歩を踏み出すとき
一周目エンドとは逆に、「結婚はスタートライン」という価値観を主人公に提示したちあり側からの手を引くアプローチ。
先に立ち上がって、手を差し伸べる。
目線の高さが、ここではじめて、逆転する。
作中では、旅の出会いを「それぞれの道がひととき重なること」と表現しているが、それが視覚的にあらわれているのが「目線の高さ」だろう。
そのままなら、ひとときただ重なって、交差して、離れて行くはずだったふたりの道(視点)。
立ち止まってはいたけれど、自分に向き合って考え続けたリリが出した答えは、今度は主人公を、これまで創造もしていなかった別の道へと引っ張り込む力に繋がった。
そんな成長の表現だ。
これがもし、リリが座った状態で主人公が立っている、という構図の場合は、同じリリが手を差し伸べるテキストであったとしても、印象は大きく変わる。
360度カメラは、全方位を自由に見渡せるけれど、上下の高低差を動かすことはできない。
撮影時には、ストーリーも、見せたい絵の構図も、大枠は決まっていたのだろう。
同じ目線で、同じ未来を
お気付きだろうか。
この場面、二人とも立っているのだが、なぜかリリと主人公の目線の高さが同じなのだ。
あまりにもさりげない演出なので、自分はプレイ中には意識もしておらず、何度も見返す中でようやく気付いた。
主人公とリリの身長差は、いったいどうなったのか。
答えは足下にある。
視点を動かして、足下を見れば、
このシーン、リリは石橋を渡っているのだ。
これは、「360度映像を使ったゲーム」だからこそできる演出。
通常のイラストなら、画面外の整合性には多少の嘘をついて、演出重視で目線を合わせた構図にすることはよくある。
だが、上から下まで全方位すべてが画面内の、360度カメラだと、ごまかしがきかない。
目線を合わせる構図にしたいために、空中に浮かせるわけにもいかないし、急に背を伸ばすわけにもいかない。
その写真を撮影した場所に合わせた整合性が、「実写+イラスト」にこだわる上では必須になるわけだ。
その点を踏まえて、このシーンは本当に素晴らしい。
※2022年9月3日 参考写真2枚追記
登り坂の先、どこまでもつづく道は、二人の未来、これからの歩みの示唆かもしれない。
あるいは神橋を越えて、非日常の世界(物語)から、日常の世界(現実)へ帰る演出ともとれる。
橿森神社という場所にも意味を見いだすなら、ここに祭られている神様は、かつて因幡からやってきて、岐阜市周辺の土地を拓いた一族だ。
島根からやってきたウサギのモチーフを持つリリには縁のある場所とも言え、これはそのまま、ループを越えて遂に帰ることになる故郷・山陰へ続く架け橋、とも解釈できる。
なんにせよ…
同じ様に地に足をつけて、同じ速度で歩いて、同じものを見ている。
夫婦として、対等な目線で、新しい場所へ、ふたり踏み出す。
そんなエンディング(そして新しいスタート)を表現するのに、最高の演出だったと思う。
まとめ
360度視点の「実写×イラスト」がみせてくれる表現の可能性。
今回は、リリとのシーンについて語ったけれど、日陽やしづのイベントスチルにおいても当然、また違った色々なこだわりや隠れた演出が詰まっている。
あなたも是非、主人公とヒロインとの「目線の高低差」や「距離感」の違いが生み出す心理効果、みたいなものについて意識しながら風雨来記4をプレイしてみると、きっと「ああ、だから自分はこんな風に感じるんだ」みたいなあなただけの発見があって、さらに楽しめるんじゃないだろうか。
今回の記事は、こんなところで。
次は何を書こうかな。
コメント
いつも興味深く記事を読ませていただいております。
目線の高さはさりげない要素ではあるけれど、二人の関係性を示すのにとても大切な役割を果たしていたということがよくわかりました。
こうした細かいところまで考えられているのが、本作のよいところだと思います。
コメントありがとうございます。
そうですね。バイク移動シーンのような派手さや素晴らしい絶景だけでなく、物語を描くためのこういう細かいこだわりの積み重ねによって、自分は深く心撃たれたんだと思います。