島崎藤村の「夜明け前」を読んでいる。
まだ上巻途中なので、全部読み終えたら感想記事でも書こうと思うが、風雨来記4作中においてのリリさんの印象的な「あのセリフ」は、割と序盤に出てくる。
「あの山の向こうが中津川だよ。美濃はよい国だねえ。」
原文を読むと、これをリリさんに言わせたのか…、と色々考えさせられた。
ゲーム内で言葉だけを見て得られるイメージはリリさんの愉快な口調もあって明るいものだったが、実際はかなり違う印象を受けた。
■主に「風雨来記4ちあり編」について書きます。ネタバレ小。
■「自分はこう考えたよ」という、個人的な感想・考察記録です。
■ 記事内で、ゲーム内スクリーンショットを権利元様を表記した上で引用しています。
■ 特に記載のないイラストは、投稿者(ねもと)による非公式の二次創作です。
「夜明け前」の序盤ストーリーを簡単に説明すると、
- 「夜明け前」は、島崎藤村の父親が、主人公(名前は変えてある)
- 中山道の、馬籠宿が舞台。主人公はそこの有力者(宿屋)の嫡男
- 街道は、物理的な「交通網」であると同時に、最先端の「情報網」
- 主人公は、そこで旅人の話「情報」を聞くのが好きな学者気質な人物
- ペルーの黒船来訪を機に、「情報量」が爆発的に増す
変化に乏しい鎖国時代には一か月前の情報でも最先端だったものが、
リアルタイムに情勢が変化し3日遅れただけでも古い情報になる
都会と山奥の情報格差が加速度的に広がる中、主人公は時代の変化を肌で感じる - 「木曽」は山の中の土地であり、この先どんどん遅れていく。
一方、「あの山の向こう」の「美濃」は、京の都にも江戸にも近く、様々な文化が発達している、「よいくに」だねぇ。
主人公には学びたい学問があり、それを大事にしている。
本格的に学ぶためには木曽から離れる必要がある。
20歳そこそこで家同士の約束によってお見合い(ちなみに両者とも一目惚れでノリノリだった)結婚し、子供もいて。
家を継ぐ以外の選択肢を許されない立場上、自分にとっては近くて遠い場所(=美濃を通して、その先の京や江戸文化)への諦めきれない想いから、主人公がつい発した言葉。
それが、
「あの山の向こうが中津川だよ。美濃はよい国だねえ。」
なのである。
同郷の友人に対してかけたこの言葉だったが、作中では、特に同意されることもなくスルーされている。せめてなんか反応してやれよ。
家を継ぐことが決まっていること、「山奥の故郷」と「憧れの都会」という対比など、東京暮らしがうまくいかずに、故郷へ帰ればお見合いを迫られているリリさんの境遇と重ねて考えてしまう部分が多い。
当時との最も大きな違いは、ネットの有無だろうか。
現代においてはネットのおかげで光の速度で世界中の情報を得ることができる。
「夜明け前」の舞台は200年昔、小説として書かれたのは90年前。
そこに描かれている人々の悩みは、現代と変わらない。
「街道を行き交う雑多な『情報』にはクソみたいにネガティブで無責任なものも混じっているから、心が未成熟な若者には触れさせたくない」と言う主人公の父親の持論とか、「賭博はダメだと言いながら公営賭博を開催する、賄賂は駄目だと良いながら実質的に賄賂を渡したものが優遇されるような行政の不道理」へのやるせなさとか、変化を本能的に嫌い窮屈でも安定を願う心理とか。
読み進めているとついつい、「この先歴史がどうなるのか知っている」立場を忘れて、このまま開国されたら日本はどうなってしまうんだろう?なんて不安になってしまったりするほどだった。
文量が多いので、少しずつ読み進めている。
あらすじで……というか実際の人間をモデルにしているため、史実ですでに、主人公が最終的に悲劇的な運命を辿ることになることが分かっているのが少々つらい。
ともあれ、夏までには読み終えて、岐阜を旅する際には是非とも馬籠にも立ち寄りたい。
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